仮に、神と呼べるものが存在するとして・・・。
神に対して何かお願いすると言う事は、すなわち、神を自分よりも上の存在として尊敬なり畏敬の念を抱いていると言う事であるからして・・・。
もしも、その願いが聞き入れられられなくとも、それは当然の事である。
しかるに、自分の願いが聞き入れられなかったと言って、神を侮辱したり冒涜する様な事があったとすれば・・・。
貴方は元々、本心では神を尊敬してなどいなかったのであろう。
何故なら、もしも本当に神を至高の存在であると考えているのであれば、自分の如き凡人の願いなど叶えてくれなくとも、お願い事をさせてくれただけでもありがたいと思うはずだからである。
要するに、貴方は神に願い事をしていたのではなく、神に命令していただけに過ぎないのだ。
だから、その願い・・・もとい、命令が聞き入れられなかった事に腹を立てるのである。
そこで、もう一度考えてみよう。
もし仮に、神と呼べるものが存在するとして・・・。
それが、全宇宙及び全生命的観点から見て、“善”なる存在であるならば・・・。
そもそも、「自分を救って欲しい」だとか、もっとひどいのになると「幸せになりたい」だとかと言った、すなわち自分だけを何とかして欲しいと言う利己的な考えを持つ者の願いなんぞ、聞き入れてくれるだろうか?
ましてや、お金や資産と言った物質的な貢物をする事で、その見返りに望みを叶えてくれる神様だなんて、そんなものは“資本主義における神様”・・・否、“資本主義における王様”でしかない。
しかも、何かしら自腹を切るのであればまだ、「騙された」などと大騒ぎするその気持ちも解らなくもないが、ただ祈っただけで何かもらえると考えるなどとは、KOJIKI以下の発想ではなかろうか。
だいたい、神様のご機嫌取りをする事で願いを叶えてもらおうと考える事自体が、社会的に偉い地位や身分の人間にゴマをする事で自分だけが得をしよう楽をしようとする事と同様に、人間としてとんでもなく下品な生き方なのである。
・・・とは言え、“人間を作り出したと言われる神と言う存在”を作り出したのは人間なのだから、“神を作り出した人間と言う存在”は、おそらく、神よりもっと偉いご身分なのであろう・・・。
ゆえに、今日も明日も人間は、例えそれが叶わぬ願い・・・もとい、聞き入れられぬ要求であろうとも、そのしもべである神に命令し続けるのだ・・・。
「俺の願いを叶えろ!!」
「俺だけを救え!!」
「俺をこの世で一番幸せにしろ!!」
・・・と。