政治と言うか、そもそも民主主義国家における選挙自体が、「個人が私利私欲を追求する事」をあくまでも多数決の原理に則って、その大多数の側にのみ認める・・・と言う事であり。
・・・となると、少々乱暴に言えば、漁師を生業としている国民の多い国は漁業従事者にとって都合の良い国となり、農業を生業としている国民の多い国は農家にとって都合の良い国となる訳で・・・。
否、それはそれで至極もっともな結果と言うか、多数決と言う方式自体が、それに賛同する人数の多い方を選択すれば、自ずと利益を共有出来る人も多くなるはずなのだから、国民全体における幸福度は間違いなくアップするがゆえに、そうしているのだとも言える訳なのであるが・・・。
また、しかしもちろんそれを踏まえた上でなおかつ、「数が少ない人達も救ってあげましょう」と言う考えの下に、ある程度の少数意見所持者の救済策(←ガス抜きの意味もある?)が実行される事も否定は出来ない。
しかるに、その公平性を更に高めるためにも、私はここに柔道やボクシングにおける重量制みたいなものを適用する必要があるのではないか?・・・と、さっきふと思いついたのだ。
要するにこれは、まず性別・年齢・職種に応じてクラス分けをし、各々のクラスに所属する国会議員の定数を国民(=あくまでも選挙権を持つ成人のみに限る)の分布バランスに比例して決定しようと言う考え方なのである。
つまり、国民の男女比が1:1であれば国会議員の男女比も1:1に、そして年齢も同様に20代が何人、30代が何人・・・と、国民の分布バランスに応じた代表者を決定すると言う事。
・・・なので、職種ってのはちょっと蛇足かも知れない・・・と言うか、先に述べた論法と関連付けるためのものでもあるが・・・いやいや、案外そうでもないかも知れない。
うん!!そうなるとそうそう、国会議員にはニュー・ハーフ枠も必要だよね。
・・・と、そんな具合に、男子ミドル級うんぬんではないが、多数決によって選ばれた男性40代自営業者系代表国会議員は男性40代自営業者の意見をある程度代弁出来るだろうし、女性30代専業主婦系国会議員は女性30代専業主婦の意見をある程度代弁出来るのではなかろうか?・・・と私は考えるのである。
あとはあれだよね、収入や資産によってクラス分けすれば、現在の様な二世議員やおぼっちゃま君(=資産家のご子息)系国会議員が殆ど(←かどうかは知らないが・・・)を占めるって事はなくなるよね。
だけど、ここでやっちゃいけないのが、知能別のクラス分け・・・ってやつ。
だって、わざわざ理解能力の乏しい人を国会議員にする必要ないって言うか、そんなのナンセンス極まりない話だもんね~。(^^;)
まあ本当は知能と言うか、ある程度の知性や品性を立候補に必要な要件にすれば良いんだけど、その辺は国民が適切な判断を下すでしょ?(←実はここが問題の本質だったして・・・。)
何にせよ、何で国会議員をクラス分けにする必要があるのか?って事を、もう一度説明するならば・・・。
国民には男女(+その他)の性別があり、色んな年代の人がおり、色んな職種の人がおり・・・と、色んな種類の人間がおり・・・。
それぞれが共存している・・・すなわち同じ土地(地域)で暮らす訳であるからして・・・。
「暮らす訳(くらすわけ」)」=「クラス分け(くらすわけ)」は絶対に必要なのである!!
・・・みたいな。
オチが下らない駄洒落でゴメンナサイ・・・。(^^;)