Mr.エレクトの独り言 「酷使の美学」①

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「酷使の美学」①

「自己の頭脳と肉体と生命を社会全体の正しい繁栄のために酷使する事が出来る人間こそが、人々から尊敬と信頼を得るべきなのである」・・・と言うのが、私の基本的な考えであると言う事を大前提として・・・。

今から遥かに時間を遡り・・・10代半ばに音楽雑誌で読んだ東京ロッカーズやアナーキーの記事が、私がパンクに目覚めるきっかけだった訳であるが、そこからクラッシュにピストルズにダムドを知り、国内ではザ・モッズのファンになり、その後に聴いた負の感情を曝け出す事を肯定するかの様なザ・スターリンの「trash」によって、それまでのパンクの概念を覆された私ではあったが、更にそれを上回る衝撃を私に与えたのが、ハードコア・パンクの登場であった。

洋楽を別にすれば、最初に聴いた日本のハードコア・パンクは「CITY ROCKERS」収録のガーゼであったが、その頃のガーゼのサウンドからは、まだスターリン以上の衝撃は受けなかった。

しかし、その後に聴いた「OUTSIDER BOOTLEG」に収録されていたカムズをいっぺんで好きになり、更にその直後、(以前にも述べたが)THE EXECUTEの1stソノシートを聴いた時の衝撃は、今でも忘れられない。その瞬間、私にとってスターリンは、もはや過去のものとなったのだ。

また、ザ・スターリンが持つ負の感情を曝け出すかの様な精神性を引き継ぎ、更にそれを増幅したバンドとしては、やはり「OUTSIDER BOOTLEG」に収録されていたマスターベーションや通販で1stソノシートを買った奇形児へと、私の好みは完全に移行して行くのであった。

それにしても、私が何故ハードコア・パンクをそれ程までに衝撃的かつ熱狂的に受け入れたのか?・・・今にして思えば、そこには明確な理由があったのである。

(これを言うと多くの人に怒られるのだが・・・)実は私は、DISCHARGEに代表される英国のハードコア・パンク・バンドの事を、当時の日本のハードコア・パンク・バンドに比べ、そんなに好きな訳ではない。何故なら、英国のバンドはやはり紳士的と言うか、どこか大人しい印象を受けるからなのだ。・・・とは言え、唯一まあDISORDERには少しばかり惹かれるものを感じはしたが・・・。

カムズは、やはり女性ヴォーカルが終始ひたすら叫び続けると言うのが最も衝撃的であったし、演奏のテンポも当時としては桁外れに速く、一見デタラメとも思える一筆書きの様な在り得ないコード進行の楽曲も、あのスピードで演奏されるとメチャクチャカッコ良く聴こえるのだから不思議なものだ。

そしてTHE EXECUTEも、怒りに満ちた咆哮とでも言うべきヴォーカリストのシャウトの仕方がハンパでは無く、一見個性もバラバラに見えるアクの強いメンバーが火花を散らしながら猛スピードで楽曲を演奏している姿がまるで目に浮かぶ様であったし、その後すぐにメンバー・チェンジしてから活動後期に至るまでは、激しい中にもまるで中世の騎士を思わせる気高く強固な美意識がすべての楽曲作品を通して見事に貫かれているのである。

いずれにせよ、それらに共通するものが何であったか?と言えば、それは・・・。

そもそも「全力を出し切る事以外の方法では演奏する事の出来ない様な楽曲を作る事」であり、更にはその「楽曲なり演奏に自分達の持てる能力のすべてを注ぎ込む事以外には成立し得ない音楽である」・・・と言う点に他ならない。

要するに、(特に日本の初期)ハードコア・パンクとは、手抜きなんぞ絶対に許されず全力を尽くす以外に演奏する術が無い様な構造を大前提とする音楽であると言う事こそが、10代の私をとんでもなく感動させ、それらにのめり込ませたと言っても過言ではないのだ。

もちろん、その後はもっとテンポの速い音楽もたくさん生まれ、日常的にそれを聴いて育った人間からすれば、当時のハードコア・パンクのスピードは遅いとさえ感じるかも知れない。しかし、当時はただあの程度速く演奏すると言う事だけでも今では考えられない程困難であり至難の業だったのである。

しかも、私の様な日常を過す事でさえ全力(←健康な人からすれば微力)を必要とする虚弱体質の人間からすれば、全力を出す事など当たり前の事に過ぎぬゆえ、これこそまさに自分が求めてきたものと思い込み、それから数年間は普通の音楽を聴く事すら出来なくなる程だったのだ。

更にその後、ハードコア・パンクをあまり聴かなくなってからも、私の好みは大して変わらない。

当初は演奏のスピードにおいて限界を超えようとする音楽としてハードコア・パンクがその入り口ではあったが、もっと色んな面からも、すなわち官能的な旋律をどこまでも追求するだとか、神経過敏なまでの超デリケートな演奏であるとか・・・いずれにしても、「自己の肉体と精神と指先とを極限まで酷使する様な楽曲を作り演奏する事」以外に、私が求めるものなどないのである。

だから、いくら作曲能力や演奏技術があっても、それを出し惜しみする様な、「自分に出来る事以下もしくは自分に出来る範囲内の事しかしようとしない」ミュージシャンに対しては、到底感動など出来っこないのだ。

ちなみに上京後、都内のライヴであれば99.9%以上、私が意識的に熱心に通い続けたアーティストとは、THE COMESのチトセ(残念ながら再結成後のカムズ~改名後のVIRGIN ROCKS活動停止まで)とTHE EXECUTE(BAKI氏脱退後~活動停止まで)と、マリア観音の3つだけである。

・・・あと、すぐに解散してしまったものの、C.O.P.も都内でのライヴには4回共すべて通ってたか・・・。

これらのアーティストに共通するのは、美しさと激しさとが相互に作用しつつ共存していると言う点にあり、とことんまで美意識を追求せんとする激しい精神の在り方と、自らの精神や肉体を酷使する事で成り立つ演奏や表現行為の果てに初めて現出する美しさ・・・すなわち、どこまでも激しく、しかしどこまでも美しい「酷使の美学」と呼べるものが、そこには間違いなくあったのだ。

・・・その他では、好きになるタイミングを逃してしまったのでライヴに通いこそしなかったが、後期のDEATH SIDEにもそれを感じるかな・・・。

敢えて付け加えるならば、いずれも生身の人間が抱く感情の激しい起伏やこころの振幅が生き写しの様に楽曲に反映されていると言う事も重要な点であろうか。

(つづく)

実は今回、今月の25日に私の好きだったVIRGIN ROCKSのDVDが、来月には同バンドの編集CDが発売されると言う事なので、それに合わせてこの文章を書いている。

よって次回は、その魅力の根源であるヴォーカリストのチトセ(敬称略)について、初めて語ってみたいと思う。

VIRGIN ROCKS LIVE DVD「SHUT UP !! Live at 新宿LOFT 1987」
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