Mr.エレクトの独り言 村社会

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

村社会

平和な時代には目に見えないが、世の中に不安や危機が訪れるや顔を出す、日本の村社会的性質。

ところで、最近の傾向として、世間の方々曰く「政府も東電も原子力安全・保安院も本当の事は言わない」し、「大スポンサーである東電に対しマスコミは逆らえない」・・・と言うものがある。

もっとも、そもそもテレビを初めとするマス・メディアとは一方向的なメディアゆえ、反対意見が存在し難いと言うデメリットがあるゆえ、それは当然の事なのだ。

よって、マス・メディアからの情報を鵜呑みにすると言う事は、イコール、ある特定の方向に自分の考えを誘導される危険性が大きいのである。

そしてまた、そもそも世の中には様々な意見や考え方が存在するのが普通の状態なのであるが・・・。

しかしながら、一方通行的なマス・メディアの洗脳を避け続けた所で、人と言うものは基本的に、自分と意見や考え方が共通している者や似通っている者同士で仲良くなり、反対意見を持つ者を排除もしくは自分とは異なる考え方を持つ者とは疎遠になりがちである。

ゆえに、他人とはある一定の距離を持って接し、なるべく自分の意見や考えを表に出さない様にするか、そもそも確固たる自分の意見や考え方を持たぬ者は、まわり(仲間)に流され同化するのが関の山。

考えてみて欲しい、そんな場面で、まわりとは異なる自分の考えを述べようものなら、ひどい迫害を受けるか、すぐに相手にされなくなるのがオチであろう。

しかるに、単に居住地域が近かったり同じ趣味を持つ者同士で仲良くなった程度の集団内の繋がりなど、何が正しくて何が正しくないのか?だとか、この世の真理を追究しようなどと言った精神とは程遠いのだから、それも仕方の無い事。

本当ならば、善悪の基準やこの世の真理と言うものは、自分の意見や考え方よりも上位に来るべきであるにも関わらず・・・である。

だから、何かを知ろうとする時、私達は一つの意見だけでなく、その反対意見をも検証のテーブルに上げなければ、その結果における精度が上がる事など絶対にあり得ないのだ。

その点、ネット上に転がる情報とは、でたらめや嘘ももちろん多いのだが、相反する意見や考え方が(現在の所は)取り締まられる事なく(少なくともこの国では)存在する事が許されている。

後は、それを読んだ私達が、自己責任でそれを判断するだけの事。

何故なら、政府は嘘つきだし、マス・メディアは一方通行的な情報しか流さないのだから、今ほど“権威”が役立たずな時代はないのだ。

もちろん、政府なりマス・メディアからの情報を信じ(依存し)、後で彼らに文句を言うのは貴方の自由である

だが、ネット上に限らず、そもそもこの世とは嘘と本当とが混在する世界であり、その情報を発信した責任をどこまで追及出来るかと言えばはななだ疑問であり、何せ「死人に口なし」との言葉もあるのだ。

こんな非常時において、利権に目が眩んで嘘を繰り返してきた“権威”を誰が信じるものか!!

・・・となると、そんな状況において私達のすべき事とは、自分の頭で考え、自分のこころで決定し、自分の身体で行動する事以外にはないのである。

天気予報は「明日は雨」だと言った。

それを信じ(依存し)、手荷物を増やしてでも傘を持って出かけるか、それでもなお傘を持参せず、外出先でビニール傘を購入する羽目になるか・・・。

その責任はすべて自分にあり、その恩恵も被害もすべて自分に降りかかってくるのである。

更に言えば、外部からの情報を一切遮断し誰の意見にも耳を貸さず、自分の知識と直感とを駆使して、「明日は傘を持参すべきかどうか?」を決めるのも良いだろう。

いずれにせよ、こんな状況下にあって、貴方の健康や将来を一体誰が保障してくれると言うのだ?

誰か(仲間)から、「逃げるなんて卑怯」だと言われる事もあるだろう。

しかし私に言わせれば、現実を直視し、「何が正しいのかさっぱり解らない」状態の下、時に相反する情報の洪水の中から自己責任で「正しいと思える」ものを選び取り、それを行動に移す人間を、同様に「何が正しいのかさっぱり解らない」人間が批判する事など出来ようか?

繰り返しになるが、自分自身が、外部からの情報を一切遮断し誰の意見にも耳を貸さず、自分の知識や直感とを駆使して行動するなり、あるいは運命に身を委ねようと言うのであれば、誰もそれを止める事など出来ない。

ならば同様に、他人なり貴方の友人が自分(の判断)を信じて行動する事を非難するべきではないと、私は考える。

貴方が仕事を離れられない、もしくはその土地を離れられないのは、誰かのせいではない。

ただし、原発の事故処理に当たっている作業員の方々は別だ。あの人達は、この日本に住む私達国民、更には地球を放射能汚染の危機から救おうと、自ら危険な場所に身を置いているのだから、私には感謝・・・否、何も出来ず何もしない自分をただただ恥じ入る気持ちしか芽生え得ないのだ。

私は常に考える・・・。

例えこの世が嘘ばかりだとて、そしてもちろんそれらに怒りや嘆きの感情を芽生えさせられようとも・・・。

結局の所、自分で考え、自分で選び、自分で判断し、自分で決定し、自分で行動しなければ、何か事が起きた時に後悔するのは自分である・・・と。

仮に誰かを信じた(依存した)所で、その誰かが助けてくれる訳では決してない。

自分の家族ならまだしも、仲間とてしょせん他人・・・である。

自分の人生は自分自身の力で切り開いて行く以外にはない。

・・・特に、こんな時代には。

そしてその逆に、他人の意見に流され、村社会に埋没するのも、これまた自由。

その結果は、いやがおうでも自分に降りかかるだけの事。

問題は、「自分にその運命を受け入れる覚悟があるのか否か?」・・・その一点に尽きる。


「生きる事」とは「自らの意志で動く事」であり、それは何も、住んでいる場所を移動する事のみを指すのではない。

それは・・・

「自分の頭で考え」

「自分のこころで決定し」

「自分の身体で行動する事」

・・・以外の何物でもない。