Mr.エレクトの独り言 「公平性」(ちょっと手直し済)

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「公平性」(ちょっと手直し済)

振り返ってみるに、これまで私が常に求めてやまなかったものは、“公平性”と言うものであった。

長男でありながらも、姉と弟に挟まれた三人兄弟の真ん中であった私は、幼少時、家族5人の中で常に孤独と疎外感を味わされ続けていたのである。

・・・とは言え、自分が幸せでないと考える人間は、「幸せな状況でない」と言うよりは、「幸せを感じる能力が無い」のだと私は考えるがゆえ、おそらく私の生い立ちは不遇でもなんでもなく、むしろ平穏無事なものであったと言う事もまた事実。

そもそも、“幸せ”なるものは、他者や自分のその置かれた状況から与えられるものなどではなく、自らが感じ取る(掴み取る)ものであるのだ。

・・・が、しかしながら、多少なりとも自己弁護めいた事を言わせてもらうならば、その「幸せを感じる能力」と言うものもまた、その人自身の生育環境・・・すなわち外部からの影響によって芽生えるか、もしくは目覚めるものなのであるからして、そこの所が私なり私の生まれ育った家庭には欠けていたのかも知れない。

また、誤解されては困るのだが、私は「構ってちゃん」ではなく「構わないでちゃん」であるからして・・・。

(その点も、家族内における幼少期のトラウマが深く影響を及ぼしている事は否定しようのない事実ではあるが・・・。)

殊更に、親からの愛情が欲しいだとか、何が何でも自分の願望や欲求を叶えなければ気が済まないと言う訳では全然なく、私の希望はむしろその逆・・・すなわち「そんなに要らないから、そんなにやりたくない」・・・と言うだけの話なのだ。

つまり、姉や弟がこれだけもらってるから自分もこれだけ欲しいと言う様な、言わば“平等性”などひとつも求めておらず、本当に自分が欲しいと感じているものであればそれはそれなりに頑張らなければいけないだろうが、別にそんなに欲しくないものに対してまで何でそんなに無理してまで頑張らなければいけないのか?・・・と。

これはまあしかし、私が子供の頃、虚弱体質気味・・・すなわち極度のヘタレだったからに他ならないのであるが・・・。

要するに、私はやはり、怠けるのが好きな人は少ない報酬を、そしてその逆にたくさん欲しい人は怠けず一生懸命頑張ればそれ相応の報酬が得られる様な社会なりシステムを求めており、そしてまた少ない報酬で構わないって人が無理に他の人達やもっと欲しい人達に合わせて無理に頑張らされる事もなく、またその反対に自分はこれだけ頑張ってるのにも関わらず頑張ってない奴と同じ報酬しかもらえないと言った“不公平感”と言うものをなくしたいと考えている・・・と言う事なのである。

よって、平等・・・すなわち体格や性格、生い立ちや価値観が少なからず異なる者達の、その個体差を無視し、しかも誰かが一方的に「これだけやるからこれだけ働け」と、その分量を決める様な思想が大嫌いって事なのだ。

ゆえに私は、国家において国民すべてに同じ価値観を強制するファシズムを嫌悪し、家族と言う最小単位においてさえ皆が価値観を同じにしなければいけないとの思想もしくは暗黙のルールに対して異を唱え続けているのである。

“平等”なるものは、“公平”などではないのはもちろんの事、実は本当の意味での“平等”などではなく、「誰かにとっては多過ぎ」、「誰かにとっては足りない」と言った具合に、実に不完全かつ野蛮で乱暴な思想に他ならないのだ。

だいたい、柔道にだってボクシングにだって体重別に階級制が用いられているのであるからして、「スポーツマン(とは限らないが)精神に乗っ取って、フェア(公平)にやれよ!!」・・・と、私は言いたいのである。

・・・とは言ったものの。

ルールを定めるのは、時の権力者であり支配者、もしくは既得権益者であると言うのがこの世の常。

数百年前には、暴力で他人の命を奪い、他国から金品を奪ってその地位を築き上げた様な野蛮な人種が、一旦権力を手にし磐石な支配構造を作り上げるや、今度は逆に「暴力は駄目だ」と言い始め、将来的に自分達の地位が下層階級から脅かされる事を防ごうと画策しているのが、今の世の中。

そこには、公平性など何処にもなければ、平等性すら微塵もない。

・・・否、もっと言えば、被支配階級である我々のみに“平等性”なる欺瞞が押し付けられ、ましてや私達自身が自らそれを望んでいるかの様な風潮さえ作り出し、そのせいで個体差による差別や迫害が日々生み出され続けていると言うのが現実なのである。

だから、私達はもっと声を大にして言わなければならない。

・・・と言うか、私が言いたいだけなので、私が声を大にして今から言うが・・・。

「平等なんか要らねえよ!!」

ただし・・・。

「働いた(労力と時間を切り売りした)分だけ寄越せ!!」

・・・と。

命とは、後生大事に金庫にしまっておくものなどではなく、使うもの。

同様に、資産(死に金を溜め込む事)=権力となる様な今の世の中は、絶対に間違っている。

命はもちろんの事ながら、お金も時間も、それをたくさん使う・・・すなわち酷使すればする程、人間としては上等なのだ。

もし仮に、そう言った考えを至上の価値とする世の中が到来したならば、私の様な駄目人間は、社会の最下層の地位に位置付けられようとも全然構わない。

何故なら、私が望んでいるのは、“公平性”もしくは“公平な世の中”・・・ただそれだけであり・・・。

ただただ私は、そこに最上の幸せを感じ取る人間・・・なのだから。