Mr.エレクトの独り言 「奉仕の精神」

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「奉仕の精神」

日本・・・に限った事かどうかは知らないが、仕事に生きがいを、そして生きがいを仕事に求めないと言う風潮が、どうも当たり前になっている様な気がしてならない。

例えば、仕事とは我慢してやるもの、もしくはそれ以外の幸せ(趣味や家族)のために仕事をする・・・みたいに。

私は、こう言った風潮・・・と言うか刷り込みに対しては、完全に否定派である。

だって、考えてみて欲しい・・・。

もしも仕事が生きがいになれば、そして生きがいを仕事にすれば、そこから得た収入で何かを買ったりしなくとも、何処かに旅行に行ったりしなくとも(←旅行好きな人を否定している訳ではありマセン)、高級レストランで食事なぞしなくとも(高級料理好きな人を批判している訳でもありマセン)、生きている(=意義のある事をしている)と言う充実感で、他には何も要らないと言う状態にさえなると、私にはそう思えるからなのである。

・・・と、それを踏まえ、本題に入ろう。

そもそも、政治家や官僚も含めた国家公務員って仕事は、実体のある品物を生産もしくは製造する訳でもなければ、実際に何かを販売して収益を得る事がその目的でもなければ、ましてやそこに明確なノルマなどない(←あるとすれば予算を無駄遣いするノルマはあるか?)訳であるが・・・。

トナルト、彼らの仕事とは、まあ一種のサーヴィス業であると言えるだろう。

更にトナルト、何をもって、その成果が示されるかと言えば・・・。

「国民が喜びなり幸せを感じる事」・・・これ以外には考えられないであろう。

しかるに、満足出来る結果が出ているとはとても言いがたいし、それ以前に、もちろんすべての公務員がそうであるとは言わないが、それを目指してさえいないのではないか?・・・とさえ思えてしまうのが今の現状ではなかろうか。

では何故、公務員試験をパスするなり選挙に当選した彼らに、それを為そうとする責任感なり覚悟が無いのか、そしてまた、それを達成するためのどの様な能力が不足しているのであろうか?・・・と考えてみるに・・・。

それを私は、彼らに「奉仕の精神」の欠如しているからであると推測、かつ断言するものである。

さて、それでは「奉仕の精神」とは如何なるものなのか?

それは、「見返りを求めない行為」を、しかもなおかつ自発的に行なう、その動機もしくは動力源の事を指す。

よって、私が考える、真の意味において「奉仕の精神」を発揮する事の出来る人間とは・・・。

「自己の飢えを満たす事の出来た者」もしくは「私欲を満たす事を終えた者」・・・となるのである。

しかるに、見るが良い。

国民に奉仕すべき立場である彼らの、満たしても満たしても足りないとでも言わんばかりの、その欲深さを。

貧しく飢えた状態におかれているならばまだしも、私利私欲を満たす事を追求するあまりに本来為すべき目的をないがしろにし、既得権益にしがみつくその姿は、腹を空かせて泣き喚く赤子の生態と何ら変りのないものであろう。

そう・・・「奉仕の精神」とは、「自分はもう充分だからこれ以上要らないよ」と言える、精神的に自立した人間にしか芽生え得ないもの。

ゆえに、誰かに奉仕する事によって「自己の飢え」を満たそうとする行為も、見返りを求める欲求から発生していると言う点において、それが「奉仕の精神」に基づくものであるとは、到底呼べまい。

何故なら、他者に何かを「(して)あげる」と言う行為は、自己の所有権を放棄し、他人に譲渡する事と同意だからである。

・・・とは言え、だからと言って無給では自分や家族を養っていけなくなる(=自己の飢えを満たせなくなる)し、ボランティア活動などではなく、あくまでも仕事=労働として行なっているのであるからには、それなりに生活を保障し得る報酬が与えられるのは当然の事であるが・・・。

更には、ここで冒頭で述べた事柄に話を戻すが、要するに、その仕事なり職種を選んだ理由が、「その仕事を生きがいにしたい」のであれば、おそらくこんな事にはならないのだろうが、仕事と言うものが「何かを得るための代償行為」となってしまっている事がそもそもの間違いなのではないかと、私には思えて仕方ないのである。

だから、いくら頭が良かろうが、いくら能力があろうが、「奉仕の精神」・・・すなわち国家公務員で言えば「国民のために誠心誠意尽力する事が生きがい」だと感じられないのであれば、その人は不適任であると、私は考える次第。

そしてまた、上記の理由により「国民が喜びなり幸せを感じる事」が成し遂げられていないからこそ、我が国の未来を担うべき若者から、「自己の飢えを満たす事の出来た者」もしくは「私欲を満たす事を終えた者」がなかなか生まれにくいと言う悪循環に陥っていると言うのが、この国の憂うべき現実の姿なのだ。



それにしても・・・。

つくづく感じる。

「下らねえ!!」・・・と。

そんな時いつも私は、梶原一騎原作のどの漫画であったかは忘れたが、そこに出てくるある一つのセリフを思い出すのであった。

「もっとスカっと生きられねえのかよ!?」
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。