「花は散るからこそ美しい」とは、世阿弥の言葉らしいが、何と素晴らしい名言なのであろうか。
大昔にも、ブラマヨの吉田みたいな「うまいこと言う奴」がおったんやね~。
・・・と、それはあまりにも例えが悪いかも知れないが。(^^;)
いずれにせよ、この言葉が、何か一つの物事を極めようとしなければ決して見えてこない真理であろう事は、想像に難くない。
絶対に滅びず、腐らず、死のないものなどに、美しさ・・・と言うと語弊があるなら言い換えるが、生命の尊さや輝きなど無いのだ。
<参考記事>
■死がもたらすもの<改定版>
生きる事=死を少しでも遠ざけようとする事であり、それゆえに生きる事とは、すなわち自らを活かし続けようとする行為に他ならないのである。
よって、野生の動物界がそうである様に、人間界においても怠け者は速やかに死んで行くべきなのだ。
そして、それこそが自然の摂理と言うものであろう。
<参考記事>
■「怠け者、喰うべからず」
何も作らず、何も育てず、何も産み出さない者が、貨幣等の資産を運用する事で生き永らえるどころか、働き者の労働の成果を搾取するなどとは、とんでもない話である。
貨幣とは、働き者同士が、異なる種類や価値を持ったその労働の成果の交換をスムーズに行なうためにあるものであり、怠け者や詐欺師に権力や地位を与えるものであってはならない。
しかしながら、貨幣自体や、貨幣制度に罪がある訳ではない。
問題なのは、その使われ方なのである。
そこで本題。
つまり、貨幣に限らず、ある特定の集団なり国家において、その利益や労働の成果を、極一部の、しかも何も産み出さない怠け者が独占出来る様な構造となっている事、更にはそれがその集団内で循環する事なく外部なり国外に持ち出されてしまっている現状が、人々を苦しめる要因となっているのだ。
ゆえに、そんな状況を改善するためには、貨幣そのものや銀行を廃止する事もしくは現行の貨幣以外に地方通貨を用いる事等では、根本的な解決には至らないのである。
要は、この便利な“貨幣”と言う道具によって、国家なりその集団内に属する人々がそれぞれの労働の成果をきちんと得る事が出来た上で、更にその成果を互いに分け合う(交換する)事をも円滑に行える様にするための機関、すなわち(国家ならば)国民並びに国益のために機能する(国営もしくは国家の管理下にある)銀行が必要であると言う事なのだ。
そして、本来は経済にとっての血液である貨幣の循環を促進するポンプ(=心臓)の役割を担うべき銀行業もそうであるが・・・。
我が国において問題となるのは、日銀や国内の企業を支配する株主と言う名の国外寄生虫はもちろん、国内においても国際金融資本の傀儡国家アメリカ及びCアイAの下僕たる官僚、司法、自民党、経団連、電通マスコミその他諸々である。
そんな状況の中、国内のみに限定するならば、やはりその最大の元凶は、国家の運営が民主主義を装った官僚独裁(独占)主義によって行なわれていると言う点であろうか。
「特別会計の廃止」と「天下りの禁止」、これをやるだけで状況は大きく変わるものと思われるが、それ以前に「政治主導」(=三権分立の正常化)を口にするだけで検察やマスコミによる酷い妨害を受けるのが現状なのだから、その支配構造を覆すのはたやすい事ではなさそうだ。
(つづく)