Mr.エレクトの独り言 「シロアリ駆除」その5
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「シロアリ駆除」その5

もう一つ、彼らの得意技として、自分達の悪行を隠すために代理人を用いたり、スケープ・ゴートを作り出し、本来は自分達に向かうべき批判を他所にそらすと言う手法がある。

現在、日本に蔓延する「政治不信」(=立法府の議員への不信感)と言う風潮は、官僚とマスコミが二人三脚で作り上げた、国民の怒りの矛先を逸らすための策略に他ならない。

もっとも、(官僚の言いなりになる)無能な者も中には居るであろうが、だからと言って、政治家が一概に無能である訳ではないのだ。

そもそも、もし仮に政治家が国民の利益を最優先したまともな・・・それも官僚の利益を損なう様な政策を実行しようとするや、その際に起きる抵抗や妨害、良くてマスコミによるネガティヴ・キャンペーン、最悪な場合は○○されてしまう事は、歴史が証明している。

(以下の記事にて掲載した「経世会(旧田中派)」VS「清和会」を見れば、それは明らかであろう。)
■「シロアリ駆除」(その2)

また、マスコミの偏向報道のみならず、阿久根市の竹原元市長の例にもある通り、役人自身が身内から市会議員を送り込む事で自らの権益を確保する事も可能ゆえ、国政の場においても、官僚出身の国会議員が同様の役割を担っているであろう事は想像に難くない。

確かに、こんな状況では、国民が「誰を選んでも一緒」ってな気分になるもの仕方ないだろう。

よって、ゆくゆくは三権分立の観点から、「官僚=行政府の役人」が選挙に立候補するのを禁止するのは当然の事ながら、更には両者の癒着を防ぐ観点から投票すらも禁止すべきであろう。

行政府の役人は(国民の信託を受けた政治家が運営する)立法府で決定された事を尊守、それを粛々と実行するべき存在であり、それを“裁量”などと言う都合の良い解釈によって自分達の権限にするなど、許されるべきではないのである。

そして、マスコミにも、自由で中立性のある報道が可能となる様な法改正が必要であるのはもちろんだが、現時点では、私達国民がその偏向報道やネガティヴ・キャンペーンに踊らされない様にしなければならない。

しかるに、かく言う私も例の震災以降、色々な情報を収集しているうちに、やっとその酷さに気づいたレベルゆえ、あまり偉そうな事など言えないのであるが・・・。

いずれにせよ、それまでの自分の考えを覆すには勇気が要るし、生理的な嫌悪感を抱かされてしまった状態では論理的な判断をする事は難しい事であるがゆえ、まずは私達も自分自身の好き嫌いや損得を排除して物事を考える癖をつける必要がある。

何故なら、美味しい(詐欺)話に騙されるのは、自分自身にも「人を出し抜いて良い思いをしよう」との下世話な欲望があるからであり、その様に自己の感情が先に立ってしまうと、人は冷静に物事を判断する事が出来なくなってしまうものなのだ。

ましてや、誰しも多数決に逆らう(=自分の意見が少数派となる)のは怖いし、マスコミは悪役にしたい人物の悪い部分もしくは悪意ある解釈による報道のみをくり返したれ流すのだから、あっと言う間にあちらに都合の良い世論が形成されてしまう事も必然なのである。

・・・となると、国益を無視して自分達の既得権益にしがみつく官僚達にとって邪魔になる、そしてそれを排除するためにはマスコミ初めあらゆる手を使う、その対象となっている人物もしくは勢力、それこそがその逆に、私達国民が支持すべき存在ではないか?・・・とも考えられるのだ。

・・・がしかしまた、そう言った政治不信と言う風潮が国民に蔓延している時期に限って、今度は何故かマスコミに持ち上げられて登場する、「任せて安心そうに見える力強い指導者」なるものも現れるゆえ、いくらその人物から「脱原発」などと言う美味しい飴だか餌をちらつかせられようが、私達はすぐにそれに飛びついてしまう事なく、官僚とマスコミによる支配の構造をしっかりと踏まえた上で、その人物の真贋を判断する必要があるだろう。

事実、マスコミの最近の動向を見るに、まさしくその方向に世論を誘導しようとしている事が見て取れるのだ。

(つづく)