Mr.エレクトの独り言 「空手道おんがく道」

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「空手道おんがく道」

先日私は、とある会話をしていた際、女子プロレスでライオネス飛鳥とコンビを組んでいた金色短髪の人の名前が思い出せず、そのコンビ名さえも思い出せないと言う事態に陥った。

え~と、ビューティ・ペアじゃ無いしな~・・・。(--;)

そして、その数日後、寝る前に横になった時に、その一件を思い出し、ちょっと検索してみた。

すると、そのコンビの名前はクラッシュ・ギャルズであり、それ以前に私が頭に思い浮かべていた金色短髪の人こそが、ライオネス飛鳥女史である事が判明した次第。(^^;)

・・・とまあ、それは良いとして、wikipediaにおけるライオネス女史の記述に、そのトレーナーとして、非常に懐かしい名前があったのだ。

その人の名は、元・極真会館の山崎照朝。

武道や空手にそれほど興味の無い人でも、梶原一騎原作の「空手バカ一代」なら少しは覚えがあるだろうが、山崎氏はそこでも極真の龍として取り上げられていた人物である。

もっとも、同漫画は極真会館の宣伝のため、梶原氏の創作による誇張された表現も多いのだが、しかし山崎氏に関する部分はかなり現実に近いものとなっているらしい。

wikiには、やはり同漫画で大々的に扱われた、同氏が優勝した極真会館主催の第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会の記述も当然あり、その辺りは同漫画の内容を思い出しつつ楽しく読んだのだが、その他に、生い立ちや修行時代の話を初めとして、空手の技術論のみならず山崎氏の人となりや精神面での在り方が、多くの人達の証言を交えながら事細かに記載されており、私は眠気も忘れ、ついついそれを読み耽ってしまった。

ところで、私はそもそも、“天才好き”である。

ただしそれは、持って生まれた優性条件に対してではなく、元々備わった資質なり能力を自らが更に鍛える事によって、人並み以上の実力なり魅力を獲得した者・・・と言う意味においてであるがゆえ、山崎氏の生き方や物の考え方にも非常に大きな感銘を受けたと言う訳なのであった。

ちなみに、それを一言で言い表すならば、やはり、打ち込む対象への“奉仕の精神”に尽きるであろうか。

山崎氏であれば、まずは極真会館にであり、そして何より空手道に対して・・・の。

空手の道と言うものには、おそらく人間が己の肉体を用いて身に付ける事が出来る能力の限界を遥かに超えた深遠さがあり、それを志す者が熱意なり時間なりと言ったその一生の大半を犠牲にしてなお、かろうじてその指先が触れた気になれる程度にしか到達し得ないものであるがゆえ、そこに至る過程や心境を想像するや、まさしく我が身を捧げ尽くす事なくして、その真髄を覗き見る事すら出来ないのではないだろうかと、私には思えてならないのだ。

氏の生き方を垣間見るに、私はそんな事を感じてやまない。

よって、武道でこそないが、音楽や表現行為に関しても、それが当てはまるのではなかろうか・・・とも、私は考える。

例えば、その音楽的な完成度や達成度は別として、トム・ヴァーレインのテレヴィジョンには、繊細そうに見えるその表層部分とは裏腹に、その演奏には精神を極限まですり減らす程にハードな集中力を感じるし、イギー・ポップのストゥージズには、肉体を酷使するその感情表現の手法に対し、やはり過剰なまでの自己犠牲(破壊)精神をそこに見る事が出来るのだ。

ゆえに、私達が彼らの音楽を聴く際に、もしも多くの高揚感や陶酔感を得られたとしたならば、その理由は、技術や才能が無いなら無いなりに、魅力が少ないなら少ないなりに、音楽に対して注がれた熱量と時間、すなわち捧げられた人生の分量のその割合が多いからであろうと推測される。

またこれは、持って生まれた優性条件のみを武器にして(=権威を笠に着て)いる人間には、決して成し得ない結果なのだ。

何故なら彼らは、まるで自分が音楽を操ってるかの如く振舞い、なおかつそれを信じて疑う事のない傲慢さを根本に持っており、そんな人間にとってみれば確かに、音楽に奉仕するなどと言う行為自体がそもそも有り得ない話なのであろうから。

・・・とは言え、もちろん例外もなくはない。

・・・と言うか、元々あった資質のみで人気が得られるのは、実力以外の魅力を売り物にする世界のみであり、しかるにその世界においても、その魅力を維持するからには、それなりの努力が必要不可欠なのだから・・・。

具体的な例を挙げるならば、例えば沢田研二なんかは特に、その優性条件や過去の栄光を拠り所にする事なく、虚実入り混じったエンターテイメントの世界においても、常に自らの表現力を向上させようとこころがけている様に、私は感じる。

それゆえに、元からあるとか無いとかと言った前提は別にして、問題となるのは、その魅力なり実力なり能力を獲得するためにどれ程の労力と時間を注ぎ込んだのか?と言う点が、やはり表面の形態や形状にも現れてしまうのではないか?・・・と。

そしてもし仮に、一度観た(聴いた)だけでは解らないにせよ、いくばくかの時期を経て再度確認すれば、その2地点における変化の度合いによってそれが測定出来るのではなかろうか・・・とも。

空手もそうであろうが、音楽においても、物理的鍛錬や持続的訓練を自分自身に課さずして、ただそうなりたいと願ったたけで知らず知らずのうちに腕が上がってるなんて事は、絶対に有り得ないゆえ。

・・・そんな事を、自分が面白いと感じるものと、どうしてもそう感じられないものを比較しながら、ぼんやりと考えてみた。

<参考記事>
■「来生たかお」
http://erect.blog5.fc2.com/blog-entry-1965.html

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話はそれてしまったが、以下に、山崎照朝氏歌唱によるTVアニメ「空手バカ一代」のエンディング・テーマを貼っておく。

■「空手道おとこ道 山崎照朝」

http://youtu.be/NdHpmBLuq9c
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