Mr.エレクトの独り言 「無駄な抵抗」(文法ミス訂正済)

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「無駄な抵抗」(文法ミス訂正済)

最近、つくづく考えるのであるが・・・。

物事を知れば知るほど、自分に知識が付いたなどとは露とも思えず、むしろ自分の無知さや無力さをより一層思い知らされ、絶望感が増すばかりだ。

「外国に行った事がない人間」を、「ハワイやヨーロッパに旅行した事のある人間」が馬鹿にするかも知れないが、世の中には宇宙に行った事のある人さえ居る訳なのである。

そしてまた、「宇宙に行った事のある人間」は、おそらく「ハワイやヨーロッパしか旅行した事のない人間」を見下したり馬鹿にしたりなどしないであろう。

何故なら・・・と、その先は言うまでもないか。

しかるに・・・人間にとって「生きる」と言う行為自体が、何もせず放っておけば刻一刻と死に向かうだけの肉体を、死から遠ざける作業である事を考えれば・・・。

そもそも、「生きる事」とは、「“死”と言う抗う事の出来ない運命に逆らう行為」である・・・とも言えるのであるからして・・・。

たかが絶望を感じたくらいで、いちいち落ち込んでいる訳には行かないのである。

死後に天国や地獄があるなどと言う妄想が宗教の売り文句であるならば、死後に別の世界なり人生があると考えるのも妄想に過ぎない。

私は、「死後=無であると考える」派である。

人間は、死後のために生きるべきではない。

「生きる事」=「死に逆らう事」自体が人間の生きる目的であり、そしてその先の目標として、「自分の生命を“活かす”」と言う事が挙げられると思う。

だから、「死=無」に対する恐怖や、そこから逃れられない絶望感に囚われながらも、人は生きねばならないし・・・。

そう言った恐怖や絶望を乗り越えた時に初めて、「自分の生命を“活かす”」事が出来るその可能性も芽生えてくるのではなかろうか。

・・・例え現実から目を逸らし続けた所で、「死=無」への恐怖や絶望を打ち消す事はおろか、それが無くなる事など絶対に有り得ないのだから・・・。

ゆえに、言い方を代えるならば、「死=無」と言う抗う事の出来ない運命に逆らいつつも、それを受け入れた時に、初めて人は「肉体として存在する自己の生命を持続する事」ではなく、「精神として存在する自己の生命を活かす」作業に取り組めるのではないだろうか。

・・・とは言え、年齢を重ねれば重ねる程、体力や精神力の衰え、そしてその猶予時間の短さから、恐怖や絶望に対する抵抗力=抵抗心も失われて行くもの。

だがしかし、そもそも「生きる事」自体が、「死に逆らう事」すなわち「無駄な抵抗」であり「時間稼ぎ」に過ぎないのであるからして・・・。

しょせん、それが人の一生である事を考えれば、あきらめも付くと言うものだ。

よって、恐怖や絶望にさいなまれて、それらに立ち向かう意志を失ったとするならば、それはもはや人として死んだも同然。

・・・となればまた、一度は死んだ身、何をそんなに恐れる事があろうか。

そう考えてみれば、「死に逆らう事」=「無駄な抵抗」の先にある、「自分を活かす事」とは、何とやりがいのある楽しい作業であろうか・・・と言う事にもなるのである。


よ~し!!それなら、今日も一日頑張るぞ!!(←単純なヒト?)

・・・とは言ったものの・・・。

襲い掛かる睡魔には、なかなか抗えないものよのう。(TT)