Mr.エレクトの独り言 「蜘蛛の糸」に関する考察その2
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「蜘蛛の糸」に関する考察その2

「蜘蛛の糸」に関する考察その1
上記の続き・・・

さて、まず初めに、この小説において誰もが考える最も大きなツッコミ所とは、「さんざん悪事を働いた主人公が、人生でただ一度、蜘蛛を殺さなかったと言うだけで地獄から救われるチャンスを得る事」・・・の有り得なさであろう。

しかるに、私はこの不条理な点に関しては是認したいと考える。

何故なら、如何なる制約の下で書かれたのかは知らないが、これだけの短い小説、その構成や文字数にも自ずと限界があるのだから、その導入部分の設定のみに固執してもあまり意味が無いと思われるゆえ。

・・・と言いつつ、未だに蜘蛛だけは殺さぬ様に努めて生きる、その“主題ではない部分”に影響されまくった男が、ここに一人居るには居るのであるが・・・。(^^;)

もっとも、この小説が380ページくらいある大作で、主人公の残忍極まりない悪事をさんざん描いた挙句、クライマックスでこのエピソードが出てきたならば、読者から「何じゃそりゃ!!」とのツッコミを受けても仕方なかったであろう。

・・・ある意味、テレビのクイズ番組に良くある、最後の問題に正解すれば逆転可能な設定・・・みたいな。

・・・と、それは良いとして、実は昨日、また数年振りにこの小説を読み返してみたのだが、文中にハッキリとこう書いてあんのね。

<以下引用>
自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、かん陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
<引用終了>

また確かに、小学校における道徳の時間にこれを教材として用いる動機としては、この部分を子供達に教え込もうとの目論見があると言う事も、疑い様のない事実ではあろう。

しかし私は・・・と言うか、成人してからこの小説を読み直した時に私が感じた印象とは、その様な奇麗事を押し付ける教訓めいたものなどではなく、むしろ作者である芥川氏の屈折した本音が見え隠れする、もっとえげつない作品である様に思えて仕方なかったのである。

(つづく)