そもそも、価値観の相違=話が噛み合わない理由とは?
思うに、家庭内のみならず学校においても、独立心を養うのではなく、雇われ人として人生を全うするための服従心を植え付けるために教育が行なわれていると言う事が、その大きな要因の一つであろうと推測される。
簡単に言えば、これは一神教ファシズム、すなわち「子供と親なり保護者、あるいは社員と経営者等との間に形成される、一種類の価値観を一対一の上下関係で尊守させる事で成り立つその構造」に、端を発するのだ。
よって、その下部構造に所属する者にとってみれば、上部の者が提示する一種類の価値観に抗わず従う事のみが、自分の安全や利益を確保する手段となる訳である。
そしてまた、それこそが「自分が頑張りさえすれば何とかなる」=「上司なり経営者に認められさえすれば良い」等と言った、社会全体の構造や関係性を無視した「自己責任と言う名の暴論」の罠に自らを貶める要因ともなっているのだ。
もっとも、従順な羊を大量生産する事を目的としている学校教育は別として、一般家庭においては親も雇われ人である事が多いゆえ、自分の子供に対してもその様な無難で安定した生き方を身に付けさせようとする事を、殊更に非難するつもりはない。
・・・がしかし、そう言った一神教ファシズム思想こそが、「するべき努力」と「するべきでない努力」とを見分ける必要性を人々から見失わせていると言う事は間違いのない現実であろう。
実際、コンビニのバイトから店長に転身した後、私が痛感したのは「雇う側」と「雇われる側」の意識の違いであり、更にはコンビニの店長と言っても雇われ店長ではなくオーナー制(=ほぼ自営業スタイル)であったため、「自営業者」と「雇われ人」とが持つ意識の隔たりと言うものは、おそらく何万言を費やしても埋まらないものなのだなと、私にせよ、その時初めて気づいた次第なのだ。
・・・しかるにもちろん、例え人を雇う側ではなかろうとも、自営業ではなく雇われ人であったとしても、その様な意識(=独立心)を持つ人は大勢居るであろう事も想像に難くないゆえ、これはあくまでも私個人が体験したエピソードに過ぎないが・・・。
そこで、それらを具体的に説明するならば、まず初めに「雇う側」としては、「雇われる側」が好き勝手に行動されては困るゆえ、少なくとも社内(店内)においては「雇われる側」の意識なり思想を一種類の価値観の下に管理・統制する必要があると言う事。
次に「自営業者」的感覚で言えば、「雇われ人」が上司や経営者に仕事なり態度(おべっか)で認められれば自身の利益や立場が安泰である事に比べ、基本的に「自営業者」は多くのお客様すなわち「多様な価値観を持った人達」に生産品なり商品を買ってもらわなければ成り立たないため、極稀に「自分自身の価値観」のみを押し通す事で安定した売上が得られるのは余程景気の良い時か、もしくはその「自営業者」自身の価値観が元から多数派に属する(=独立性が低い)ものである事が重要な点となるのだ。
・・・何せ、あくまでも買うのは他人(=多様な価値観を持つ人々)であって、自分ではないからね。
また更に、一神教ファシズム構造によって成り立つ「雇われ人」と「自営業者」とにおける考え方の大きな違いとは、「現実の社会は循環構造によって成り立っている」と言う事実を認識し行動に反映しているか?と言う点に尽きるであろう。
すなわち、「自営業者」自身もまた誰かの「お客様」であり、「お客様」もまた「自営業者(もしくは雇う側)であり「雇われる側」であると言う事実。
(「社会の循環構造」と言うと難しいなら「共同体」、あるいは「持ちつ持たれつ」でも良いけどね。)
ゆえに、家庭なり会社と言った狭い世界において、パパやママもしくは社長に誉められるために自分がいくら努力したとしても、パパやママもいつかは死ぬし社長も神様ではないのだから、「社会の循環構造(=共同体)」がまともに機能していなければ、その努力(=信仰の表明)は水の泡なのである。
・・・いやいやもちろん、現状を改善するための努力を怠るべきではないデスし、そうやって身に付けた能力なり技能は決して無駄にはならないと思いマスよ・・・。
ただし、「自営業者」の立場である私から言わせれば、「どこかに神様が居て、いつか自分の努力を認めてくれる」なんてお伽話でしかないって事なんデス。
そう言う意味合いにおいては、「お客様は神様デス」なんて言葉も一理あるよね。
・・・否、先にも述べた通り、私が「自営業者」であり「お客様」である様に、「お客様」もまた「自営業者(もしくは雇う側)であり「雇われる側」なのが当然なのであり、それすなわち誰もが「お客様=神様」であり「神様=独立した人間」あると言う事。
例えば、「雇う側」(=社長)と「雇われる側」(=社員)の関係性においても、確かに社員は社長から給料もらうけど、その逆に社員は社長に対して労働(労力x時間)の成果を提供してるんだから、実際には上下関係じゃなく対等な立場で契約関係を結んでる訳だしね。
要は、一神教ファシズム=「神様と神様にひれ伏す人間との関係性」なんて、他人を支配して利益を得たい野蛮人が考えだしたまやかし(=詐欺行為)に過ぎないって話。
・・・親が子供を自分の言いなりにするための方便なら、そこに“愛情”が介在する可能性も少なからず残されてはいるけど・・・ね。
結論として、国家なり家庭を、支配者と被支配者が存在する一神教ファシズム的な関係性ではなく、誰もが安心して暮らせる共同体として成立させるためには、「社会の循環構造」がスムーズに機能している事が大前提であり、そのためには誰もが神様=独立した人間になる事こそが、現代の最重要課題なのだ・・って所かな。
他の宗教(=他の価値観=独立心)を一切認めないどころか武力で迫害・排除までして、一部の特権階級(特権家系)のみが安心して暮らせる世の中を作る事を目的として布教された野蛮な一神教ファシズムのおかげで、世界中の人達がどれだけ迷惑を被ってる事か!!
「するべき努力」とは「誰もが独立した立場になる事によって社会の循環構造(=共同体)を成り立たせる事」であり、「するべきでない努力」とは「社会の循環構造(=共同体)を破壊する一神教ファシズム思想(支配構造)を疑う事もなくそれにひれ伏す事」・・・だ!!