Mr.エレクトの独り言 「脱鬱論」(若干追記)

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「脱鬱論」(若干追記)

最近良く考える事。

人間とはしょせん、ちょっと複雑に構成された「リアクションの集積回路」に過ぎないんだな・・・と。

要は、人は危害を加えられれば死が近づくがゆえに気分が悪くなり危害を加えられそうだと感じれば事前に警戒(緊張)するし、食べ物がなければやはり死が近づく訳だから腹が空いたら不機嫌になったりと、通常時はそうでもないが精神の安定や生命の維持が脅かされた際に、子供であれば廻りにいる人間から学習(真似)し蓄積した情報を基に構築した「リアクション(外圧に対する反応)の形態」を外に表しているだけに過ぎず、それらは一見複雑そうにも見えるが、元を辿れば実にシンプルな構造に基いているのだ。

また、例えば自主的に絵や文章を描いたり何かを作る事にせよ、暇=退屈=生産的でない時間=死に近づく事であるからして、その不安を解消するために何かを作るなり生み出す事によって生命活動なり生産活動を擬態し、そうする事で死(=無)への恐怖を紛らわそうとする、やはりリアクション行為に過ぎないのではなかろうか?・・・とも。

つまりは、人間は外部からの影響に対して、解りやす過ぎる程にパターン化された反応を繰り返す事で自らを形成して行く(=歪みを生じる)と言う事。

特に、生殺与奪権を親なり保護者に握られ、選択の余地のない(=視野が狭い)子供時代とは、逃げ場のない状態で繰り返し外圧を受け続けるのだから、白いものも黒くなるし、まっすぐなものが捻じ曲がったとて不思議でも何でもないのである。

だから私は言いたい。

「それは貴方のせいじゃないのだから、必要以上に自分を責めるのはおやめなさい」・・・と。

そしてまた、「過去はもう変えられないのだから、それはもうあきらめて現実を受け入れ、そんな自分をこれから将来どう動かしていくのかって事に対して、頭や身体や貴重な時間を使いなさい」・・・とも。

更には、もし仮に貴方が、自分の欠点や至らぬ点がすべて自己責任によってもたらされたものであると考えているとするならば、こうも言うだろう。

「これまで自分一人で生きて(育って)来た訳じゃないくせに、その成果をすべて独り占めにしようとは、なんと傲慢な考えの持ち主なのだ!!」・・・と。


過ぎ去った過去を追っても何も得られないどころか、そんな後ろ向きな生き方はそれこそマイナスでしかない。

過去の失敗なり傷つけられた経験は自分を虐めるためにではなく、自分を活かすために使うべきなのだ。

そのためには、自責の念(=自身の傲慢さ)を排除し、現実すなわち現状の自分を正確に見つめ、そこを出発点であると認識する必要がある。

そしてまた、私はこうも考える。

人間ってのは、空間に浮かぶ振り子の様なもので、それぞれ紐の長さや重りの大きさこそ違えど、生きてる間は動き続け、何より重要なのはその異なる形状の振り子(=人間)同士が触れ合うなりぶつかり合う事で、自分や他人の人生が影響を受け合っているのだと言う視点が最も重要なのではなかろうか?・・・と。

最初に述べた通り、人間は「リアクションの集積回路」に過ぎない。

今ある“自分”なんてものは、世の中すなわち外部なり他人なりの影響によって形成された基本形状にプラス、自身に少しばかり与えられた選択の機会を行使したその結果なのだ。

よって、それと同様に自分が誰かに良い影響を与えれば、その誰かも誰かに良い影響を伝播するかも知れないし、その逆に敵意なり悪意と言った悪い影響を与えれば、めぐりめぐってそれが自分にも跳ね返ってくるかも知れないのである。

神など居ない。

ゆえに、外部なり他人から与えられる“良い影響”を、指をくわえて待ち続けても、それが得られる可能性はゼロではないものの極めて低いはずであろう。

ましてや、自身が“悪い影響”を世に垂れ流しているとなれば、そんな人間を誰が救おうなどと考えるだろうか?

自分を救うのは自分。

自分が変れば誰かが変り、自分が発した“良い影響”が伝わり広まれば、少しは世の中も良くなる事だろう。

過去は変えられないし、自分が受けた悲しい記憶は消せない。

・・・がしかし、今後その様なつらい気持ちを味わう子供はいくらかは減るのではなかろうか。

そもそも、貴方自身が悪いんじゃなく、たまたま巡り合わせが悪かっただけの事。

だがしかし、過ぎ去った過去にいつまでも囚われ、自責の念に浸る事によって自身の傲慢さにこれから先も溺れ続けるのであれば、その苦しみは貴方の自己責任でありそう言った行為の報いであるとしか言いようがない。

過去を変える事をあきらめ、現実を受け入れる事。

それ以外に、貴方が救われる術などない。

もっともこれは、「人が活き活きと生きられない世の中の在り方はおかしい」と考える気持ちが、まだ少しは燻っているならば・・・の話ではあるが。