Mr.エレクトの独り言 「不眠“勝”に囚われて」
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「不眠“勝”に囚われて」

「一日が48時間あれば、借金なんてあっという間に返せるだろう」

・・・とは、私の言葉であるが、毎日不規則な生活をしていると、自分の仕事はネット上にレコードを出品して売る事なのか、あるいは眠気(=疲れ)と闘う事なのかが解らなくなる事がある。

・・・と言うのは、ちょっと言い過ぎであるが・・・。

ところで、世の中には、不眠症に苦しんでいる人が多く居る様で・・・。

しかるに、眠らなくても良ければ、あるいは眠る時間を削る事が出来ればどんなにか幸せだろうと考える私にとってみれば、そんな夢の様な状況を手に入れられるとは羨ましい限り。

・・・と言うのも当然の事ながらジョークで、こんな私でも決まった時間に起きなければいけない日ってのが時にはあり、しかしなかなか寝付けずに焦る事もたまにはある。

もっとも、基本的には疲れたら寝る・・・と言うか、疲れて倒れるまで寝ない(横にならない)ので、横になった時はすぐに寝てしまう事が多いのであるが・・・。

また、私の友人知人にも不眠症で苦しむ方が数人おり、しかし彼らは異口同音にこう言うのだ。

「眠ろうとしても眠れない。」

更には・・・。

「眠ろうと思えば思う程、眠れなくなる。」

・・・と。

なるほど、彼らは皆、不眠症と闘っているのだな。

だがしかし、ちょっと待って!!

そもそも不眠症のメカニズムを大雑把に解析するならば、「身体は疲れているのに頭が冴えて寝付けない状態」なのであるからして、「不眠症と闘う」などと言う自分を興奮させる様な行為をすれば、更に眠れなくなるのは必然。

・・・と言うより、当初の目的は「眠る事」であったはずなのに、この場合、それがいつの間にか「不眠症(=眠れない事)と闘う(=克服する)」事が目的となってしまっているのではなかろうか。

言うなれば、これこそが「手段の目的化」ってやつなんでしょうね。

そう、乱暴に言い切るならば、不眠症に苦しむ人ってのはおそらく負けず嫌いなせいで、眠る事よりも不眠症に打ち勝つ事(=余計に眠れなくなる行為)を優先するあまり、自らが堂々巡りのどろ沼に陥っているのではないか?・・・と。

もっと言うなら、小さな負けに拘るあまり、真の目的(=眠る事)を見失い、最終的な勝利を獲得する事を放棄してしまっているのではなかろうか?・・・とも。

そこ行くと私なんぞ、不眠症の方とは逆に「寝ないでいる事」に挑戦し続けるのが日常で、しかも最長36時間も起きていれば必ず負ける(=寝てしまう)瞬間が訪れる訳デスから、言わば日々負け続けな状態であり、その様に自分の能力の限界をいやって程思い知らされ続けていれば、その逆に「寝なければいけないのに眠れない時」においても、「不眠症と闘う」なんぞと言う愚かな挑戦などしない訳で、「もう駄目だ、敵わない・・・」と、眠る事をさっさとあきらめて白旗を掲げちゃう訳デス。

するとあら不思議、「素直に負けを認める」と、こころが穏やかになるのか、自分でも気づかないうちに寝てしまっているのでありマシタ。

そしてまた、「素直に負けを認める」=「現実を直視する」=「自分の能力の限界を知る」事であるとも言えましょうか。

要は、不眠症に苦しむ人は、私が眠気に日々負け続けていると言う現実を認めているのとは正反対に、さんざん不眠症である事を自称(自覚)しているにも関わらず自分は不眠症に打ち勝つ事が出来るものとでも思い込んでいる訳デスよ。

だからその時、私はこうも考えるのデス。

「ああ、この人は、(不眠症に)苦しみ続けるのが好きなんだな。」

・・・と。

つまり、何だかんだ言っても、その人にとっては現在の状況が「心地良い」のだと思いマスよ。

実際、真の目的(=勝利=問題解決=眠る事)を達成する事よりも、「負けない事=不眠症と闘い続ける事」の方が重要なんでしょうから。

ゆえに、「自ら望んで地獄に留まろうとする者を救う事など誰にも出来ない」・・・とも、私は考える訳デス。

人間に限らず、生き物のあるべき姿とは、「活き活きと生きる事」以外には在り得ない。

・・・と言うのが今の私の考えでありマスから、苦しみの中に身を置く(=現状に依存する)事によって、真の目的を達成するために為すべき闘争から目を背け続けるヒトには、たとえ何万言を費やしても馬の耳に念仏となるだけの事。

おそらくは、飽きるまで、あきらめるまで、現在の状況に嫌気が差し、自らがその苦しみから逃れたいと思い立つまで、その地獄(=不眠症)に終りが訪れる事などないでしょうね

あるいは・・・。

永遠の眠りにつくまで・・・。