Mr.エレクトの独り言 「野蛮な球技」

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「野蛮な球技」

中学生時代、私が「偽善者」と仇名を付けた、ドヤ顔で暗記用の駄洒落を連発する世界史の教師が、授業中にいきなりこんな事を言い出した。

「アメリカでは為政者が国民を愚民化するために、3S政策と言うものを用いている。その3Sとは、スポーツ、セックス、スリルである。」・・・と。

えっ?・・・スリルは“THRILL”なんだから、“S”じゃなく“T”じゃねえか・・・と、当時の私は思ったが、それは良いとして・・・。

実際には、三つ目の“S”はスクリーン(映画)を指し、特に第二次大戦後の日本に於いて、国民を娯楽に夢中にさせる事によって弱体化するためにGHQが主導して行なったと言うのが定説となっている。

そこで今回、私はこのうちの“スポーツ”、それも“野球”に的を絞り、その愚民化政策の効果の程を検証してみたいと思う。

まず初めに、プロ野球とは日本人が鑑賞し楽しむ娯楽として最も親しまれており、流石に近年は衰退しているとは言え、その点に関して異論を挟む余地はないであろう。

しかるに、物事はすべて、その受信者によってその印象・・・すなわち各自にとっての認識は異なるもの。

道端に咲く一輪の花を、雑草程にも意識しないヒトも居れば、そこに人生のはかなさを感じ取る者も居る訳なのだ。

よってプロ野球を、各選手の技量とコンディション、チーム編成のバランス、監督の采配やゲームの進め方その他を、天候や健康に左右されつつも細かく分析しながら楽しめる者も居れば、ただ単に自身が贔屓にしている球団の勝敗しか興味が無いヒトも居る訳なのである。

要は、野球好きにも大きく分けて二種類が存在し、それは、野球そのものとその全体の構造を隅から隅まで愛好する者と、特定の球団のみを偏愛するヒトとの違いだ・・・と言い切って良いだろう。

もちろん、前者にも贔屓の球団はあるであろうし、対戦式のスポーツが求めるべき最終的な成果とは勝敗でしか無いと言う事もまた事実。

だが本当に、「今日の試合に勝てばそれで済む」のであろうか?

ただそれだけで腹を立てたり溜飲を下げたりと、そんな浅はかな喜怒哀楽をもたらす事のみが、“野球の魅力”なのであろうか?

また、特定の球団のみが勝つためだけに、プロ野球自体のルールを変更するとなれば、その勝敗と言う結果すらも、“各選手の努力”・・・引いては“野球それ自体”とは無関係な話・・・とはならないか?

この、「勝てば良し」との価値観、すなわち勝ちさえすれば如何なる不正な行為をも免罪され、如何なる卑怯な行為をも美化される・・・と言う点。

そして更に、プロ野球と言うものに対し自身が贔屓する特定の球団の勝利のみを求めるヒト達に、私は一神教カルト教団の信者の姿を重ね合わせずにはおれないのだ。

自身が贔屓する球団の勝利を絶対的に希求し、その他の球団はすべて打ち負かすべき敵でしかなく、ましてや自分自身が闘争の渦中に身を投じる訳ではなく、血を流すのはあくまで他人(=選手)なのである。

つまり、一神教カルト教団に“所属する事”、それのみで自身が素晴らしい人間にでもなったものと錯覚し、別の教団もしくは教団外の人間を見下す、その優越意識・・・。

もっと言えば、例えば自身が日本に所属していると言うだけで、まるで自分が“素晴らしい人間”であるかの如く錯覚し、他国の人種を見下すその心性・・・。

しかし、もし仮に日本が素晴らしく日本人が素晴らしいとしても、それは過去~現在に於いて日本に素晴らしい人間が何人か居た(居る)と言うだけの話に過ぎず、ただそこに所属するだけの自分も同様に素晴らしい人間であるなどと信じ込む事が出来ようとは、何と図々しくも軽薄な考えであろうか。

・・・となれば。

そりゃ、手前の応援する球団が勝つ事のみを、日々願うだろうよ。

だって、その球団(教団)を応援(信仰)する自分は、その球団が勝つ事=強ければ強い程、自身を進歩成長させる必要もなく、自分をただのヒトから素晴らしい人間へと生まれ変わらせる事が出来るのだから・・・。

要するに、その様なヒトは、野球が好きな訳でもなければ日本が好きな訳でもなく、強いものを信仰もしくはその集団に所属する事によって、本来向き合うべき自身の劣等感から目を逸らし続けているに過ぎないのではないか・・・と。

「今日の試合に勝てばそれで済む」

「勝てば良し」

おお・・・何と素晴らしき、その野蛮なる価値観よ。

そう考えるに・・・。

少なくとも、プロ野球の分野に於いては、この3S政策は絶大なる効果をもたらしていると言わざるを得ないであろう。