Mr.エレクトの独り言 良書紹介①土田世紀「編集王」

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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良書紹介①土田世紀「編集王」

さて、私の人生に多大な影響を与えた本(←つっても漫画だけどね。)とは、梶原一騎原作の「柔道一直線」な訳だが、もっとも当時は「葉隠れ」だとか宮本武蔵の「五輪の書」なんかを解りやすく解説した本なんかも読んでたから、これはそれらをもっと解りやすくダイレクトに伝える役目を果たしてくれたって所だろうか。

そして次に、“気付き”・・・と言うか、頭をガ~ンと割られるくらいの衝撃を受けたのが、福本伸行原作の「カイジ」であり、更に強く共鳴し感銘を受けたのは同氏原作の「アカギ」(・・・と言うより「天」の後半)であった。

それで、今回ご紹介させて頂きたいのは、引越しの最中に在庫の山から初めの方の数巻のみ出てきた土田世紀原作の「編集王」に関してなんだけど、久々に読み直してたら面白くてやめられなくなって続きがどうしても読みたくなり、ちょうど安いのが見つかったもんで中古で全巻揃いを買っちゃったって訳なのであるが・・・。

これの、どこがどう面白いのかと言えば、ただ単に受動的に快楽を享受出来る部分にスポットを当てたい訳では当然なく、自分の立場上、非常に共感してのめり込まされたと言うか、まあ要するにこれって出版業界(←主に漫画)の裏方にスポットを当てたお話なんだけど、その状況や構造が、今の音楽業界と良く似てるんだよね。

まっ、もっとも出版業界だろうが音楽だろうが、どちらも文化だとか芸術だとかに片足を突っ込んでいながらも、経済至上主義もしくは効率至上主義ってやつに支配されきってるって意味においては、そう大して違うはずもないんだけどさ。

だから私はこの本を、クオリティを下げないための努力を殆どやっているのに報われない作家なり表現者の方々へ、そしてこんな劣悪な状況下においてそれでも何とか己が信ずる作家なり作品を支え日夜抵抗し続けてる裏方の方々に、オススメする次第。

・・・と・言・う・か・・・!!

実を言えば、娯楽や快楽を受動的に享受する事のみで満足を得る“消費者”もしくは“消費者体質”の方々にこそ、ホントは、この漫画を読んでもらいたいんだけどね。

すぐ目に入るものや煌びやかなものや美味しそうなものって、そこらじゅうに溢れてる訳なんだけど、それって“認知されて”大手を振ってる訳じゃなくて、“認知させるため”に大手を振ってる訳なんだからさ。

売れてるものを読んでそれを楽しめる感性があれば、そりゃ安心だろうし、大多数の人間が良しとするものを知っておけば、集団内での会話にも困らないだろうけど・・・。

そもそも、国や地域ごとに倫理観や価値観が“違う”からこそ、その国や地域ごとに異なる文化が存在する訳で、更には集団生活に馴染めず迎合出来ないからこそ、自身が生み出した作品を媒介にする事で何とか他者との意思疎通を叶えようとする芸術家が生まれる訳で。

・・・にも関わらず、文化や芸術を売上や人気等の数字で評価したり、その獲得数による順位を発表する行為の、何と愚かしい事か!!

・・・とは言え、現実的にはその数字や順位でしか文化や芸術の善し悪しを判断出来ないだけでなく、まるで当然であるかの如く大多数の人間にそれが認知されているとするならば・・・。

それは文化や芸術の堕落・・・否、そんなものが文化や芸術を評価する基準などでは絶対ない訳なのであるからして、それは「娯楽(外部刺激)に依存した人類の堕落である」・・・としか言いようがない。

何故なら、本来の文化や芸術があるべき姿とは、人類が“あくまでも個別に”その特性なり能力なりを高め成長するためのきっかけであったりその道筋を指し示すもの、もしくは孤独を癒し勇気付ける役割を担うものであり、要は“それぞれが独立し、なおかつ多種多様である事”こそが、最も肝心な要素なのである。

また、既に図書館に並んでる本なんぞ、もう必要ないのであるからして、同傾向ならば更にその奥深くへと細分化して行くなり、あるいはそれまでになかった題材なり観点を指し示すと言った“進化と発展”及び“未知なる快楽の開発”の要素が不可欠となる訳で・・・。

すなわち、文化や芸術が目指す究極の目標とは「人と人との違いを認める社会を作る事」に他ならず、人類がそれぞれ個々に自身の資質なり嗜好を最大限に活かし、その種類が人類の数と同等に・・・しかも独立し成長した個別の人種として多種多様に存在し得る世の中にする事・・・なのではなかろうか・・・とも。

ゆえに、それらを踏まえて考えるならば、「経済的効果や集まった人の数で順位を決める事」、そしてそれを大衆に向けて喧伝する事によって更に人間が持つ価値観の均一化を図ろうする事が、如何に愚かで野蛮な行為であるのかと言うのが解ろうと言うもの。

文化や芸術は、人間を鎖で縛って支配するものでもなければ、人々を檻や囲いに閉じ込めて管理するためのものでもない。

文化や芸術とは、個人の存在を証明するためのものであり、他者と敵対したり迫害する事なしに、自身の独立を表明するためのものなのである。

集団なり大多数に所属する事でしか自己の存在価値を確認出来ない様な人間を、誰が尊敬するだろうか?

一人の人間の価値観なり人生の大部分が、過去の生育環境なりその人が置かれた社会や時代状況によって形作られると言う点に関して、私に異論はない。

・・・がしかし、少なくとも、その“くびき”から逃れるためのきっかけとして文化や芸術が存在するのだ・・・と言う考えを改めるつもりも更々ない。

・・・と、漫画の主題とはいくぶん話がそれてしまったなと言った感も否めないが、「編集王」には、“文化や芸術が経済によって迫害される理不尽な構造”と言う現実の状況が、溢れる愛情とユーモアを織り交ぜながら描かれているのである。

ただ最後に、あえて難を言うならば、(物語内においての)悪役にもまた“理由(なり原因)がある”と言った“救い(もしくは願い)”が込められている点が少々気になりはしたが、しかしこれは作者である土田世紀氏の慈愛に満ちた人柄によるものなのであろう・・・。

この漫画、「編集王」は、群れに属する事及びそれを再確認する事で安心を得る消費者体質の人間が、一時の現実逃避をするための娯楽作品ではない。

これは、何度倒され打ちのめされてもなお、再び厳しい現実に立ち向かうための勇気を指し示す、文化や芸術に関わり支援している人達に対し最大級のエールを送る作品なのである。
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