とは言ったものの・・・。
2年後に死ぬと言われりゃなあ、死後の準備もしたくなるか・・・。
ちょっと、言い過ぎた。
でもな~。こうも思うのよ。
2年後に死ぬ事が解ってるんだったら、死後の事より、もっと、今生きていると言う事を思いっきり味わうべきなんぢゃあないかって・・・。
死んだ後のために、生きていられるわずかな時間を費やす事が、本当に正しいのかってね・・・。
だから、初めに言ったのよ。(以下、カッコ内は補足。)
(自分が死んだ後の)この世には、この短い一生を捧げる意義、この尊い命を賭ける価値など無いと思える。
生きている事そのもの、それ以外に、生きている意味など無い。
生きる事以外に、生まれた意味など無いのだ。
どうせ死ぬのに、今、死ぬ(死後の準備をする)やつがあるか!!
今は生きる時なのだ。
死ぬのはもっと後で良い。(もうすぐ死ぬのに、死後の準備なんてしてる場合か!!)
・・・と。
死んだ後に残すべき事は、もっと別に何か、そう、自分のためにでは無く、生きている人間にとって必要な何かであるべきなのでは?
死とは、とことん個人的なものである。
生きている人間よりも、死んだ奴を大事にする風潮には、どうしても納得行かない。
とは言え、死んだ彼の事をどうこう言っているのでは無い。
ただ、どうしても、生きている時に“生きる”事以外に、生きている意味なんか無い・・・と思えて仕方ないのだ。
俺は死なんて認めない。だから、死んだ後のために生きるなんて、絶対に出来ない。
死ぬ瞬間には、人は必ず死ぬと言う宿命を呪ってやる。
人は死ぬのが当たり前だなんて、そんな理不尽な事、受入れられようはずが無い。