Mr.エレクトの独り言 広島パンク~ハードコアの歴史⑥

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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広島パンク~ハードコアの歴史⑥

お待たせイタシマシタ。眠いけど、そろそろ続きを書かなくちゃ・・・。

さて、時は1982年5月27日、THE MODSが、昨年11月の“NEWS BEAT TOUR”(だったかな?)に続き、広島にやって来た。前回はライヴハウスだったが、今回は見真講堂と言う、中ホールである。この時のコンサート・パンフはカセット・テープで、メンバーの喋りの他、3rdアルバム「LOOK OUT」からも2曲程度が収録されていた。広島でのモッズの人気はうなぎ上りで、ヤブキとナカガワのやっていたLSD以外にも、モッズのコピー・バンドの存在もちらほら耳に入ってきていた。ちなみに、この日のライヴも、観客がステージ前に詰め掛け、森山が、「コンサートが出来なくなるから・・・」と、ファンを諭す一幕もあった。若気のいたりで、筆者もステージ前に押しかけた一人なのだが、そのせいで座席に置いていたテープ・レコーダーを係員に没収されたため、この日の録音テープは残っていない。(コンサート後、レコーダーは返してもらったけどネ。)

★当日と、同年11月25日のチケット。
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さて、そんな折、筆者のバンドや、ヤブキらのLSDは、ライヴハウス“QUEST”が主催する「無名人コンサート」なる、同所における企画ライヴに、お互い別々の日に出演したのだが、常連の出演者に凄いバンドが居ると言う噂を聞きつけ、ヤブキとナカガワが偵察に行って来たらしい。なんでも、そのバンドは“カリスマ”と言う名前で、QUESTは昼間は喫茶店も兼ねているため、縦長の店内には、まずステージがあり、そして客席には両脇に四角いテーブルが並べられており、そのテーブルとテーブルの間の通路が後方の壁まで続き、言わば花道の様になっているのだが、ダイノと言う、そのヴォーカリストは、演奏中に感極まって、ステージから客席(と言うか通路)の後方まで走り廻って歌うと言う、今なら誰も驚きもしないパフォーマンスをやらかしたと言う事で、二人は興奮冷めやらぬ様子であった。筆者は内心(筆者はRCのコピーをやりながらも、地面を這いずり廻るパフォーマンスを得意としていたので・・・)、それがどうしたと言う気持ちだったが、今考えれば、単なる思春期の馬鹿さ加減の比べ合いであろうか・・・トホホ。また、その日の共演が、“外海しげる(仮名)”と言う名の弾き語りで、「原爆を持ってきてくれ」と言うオリジナルの反戦ソングを演ったと言う。これには、流石のヤブキらも失笑を隠せず、後に我々の間で、「原爆を持ってきて~く~れ~」と、ギターをかき鳴らすゼスチャーをしながら歌う、外海の物真似が流行する事となる。

そして、同年8月4日、QUEST主催の「無名人コンサートS(スペシャルの意)」が、広島市青少年センターと言う大ホールで行われる事が決定。筆者のバンドは、高校の文化祭(うちは6月にあんのよ)を終え、メンバー・チェンジ(・・・と言うか、一部のメンバーを入れ替え、ギターがドラムに、ドラムがギターにと言う、恐れ知らずなパート・チェンジ)を行い、出場する事となるが、ここでヤブキらのLSDも驚くべき変貌を遂げる。そう、主にモッズのコピーをやっていたLSDであったが、6月にメジャー・デビュー・アルバム「STOP JAP」を発表したばかりの、ザ・スターリンのコピーで出場すると言うのだ。

しかもなんと、その直前の7月30日に、本家のスターリンが“STOP JAP TOUR”で広島ウッディ・ストリートに来ると言うのだから、これはもうスターリン熱が高まらない訳が無い。(でも、既にアルバム「STOP JAP」は嫌いで、「TRASH」しか聴いてなかったけどネ。)

そんなこんなで、次回はスターリンの広島でのライヴと、「無名人コンサートS」の事なぞを書こうと思う・・・。

(つづく)

★ところで、アナーキーって、1981年か82年に広島に来てるんだけど、筆者は知らず、行けなかったのデス。でも、仲野茂が失踪して、客にかわるがわる歌わせたライヴだったらしいよ。アナーキーの本に書いてあって、後から知ったんだけどさ・・・。
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