Mr.エレクトの独り言 人生の舞台裏

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

人生の舞台裏

何と言うのか、人生において、出会いと言うのは非常に重要かつ大切なものである。

生まれてから今まで、たった一人で育った人間など居ない様に、人は少なからず外部の人間や環境に影響を受けて成長、進歩、変化をしていくものである。

子供の頃、築地の料亭で、あまりにも美味い天ぷらを食った者は、もう普通の天ぷらは物足りなくなってしまうだろう。もちろん、築地の美味い天ぷらの味ゆえにではあるが、しかし、これが仮に、無理矢理連れて行かれて、天ぷらをいやいや食べさせられたならば、果たして美味しく食べる事が出来ただろうか?そう。美味いどころか、嫌いにさえなったかも知れない。

そう考えると、幼少期の出会いと言うのは重要で、まだ多くの知識や経験を積んでいないため、その中から比較検討せねばならず、しかも、本質的な事柄以外の要素も多分に加味されるゆえ、正しい(と言うと語弊があるが)判断が出来ない場合もある。

私は、多少の個人差はあれど、感受性の強い十代後半までを、まだ自分のものさしを持たぬ、受け身的な吸収の時期であると考える。

そして、二十代とは、それまでに得た知識や経験を基に、自らの力で、自分の生き方や価値観を模索、形成していく年代ではないだろうか。ゆえに、更に奥深く追求する者も居れば、更に幅広く見聞を広める者、逆にそれまでとは全く逆の方向へ進む者も居るだろう。

要するに、ある種、十代で開いた目(芽)で、自分の咲くべき花の形、種を蒔く場所を探すのが二十代であると思うのだ。

よって、十代後半までの出会いとは非常に重要であるが、それはある種、生育環境によって与えられたもの、すなわち、ある一定の空間(親や友人)から、そう遠くへは行けないがゆえ、運命と言うか、血(地)の呪縛からは逃れられない部分もあると言う事である。

しかし、二十代は違う。そこから如何に道を極めるか(見極めるか)、そこからどれだけ遠くへ行けるかと言う、自分の力によって人生(運命)を切り開くべき時期に当たる。

もっと解りやすく言えば、十代は所持金を決定する時期、二十代はその所持金で如何に遠くまで行けるか?と言った所であろうか。

とは言え、実際に遠くへ行く必要は無く、十代に受けた衝撃や感動を掘り下げる者も居れば、血の呪縛から逃れられず、親や先祖の望む道、あるいは似た道を行く者も居る。

ところで、私は世の例外にもれず、十代の頃に音楽を好きになった訳だが、二十代になっても、まとも(?)な人生に背を向けて、ひたすらそれを追い求め続けた。何故なら、私は、定職だとか家庭だとか安定だとか集団に所属するだとか言う事に関しては、チリとも興味がなかったゆえ。・・・否。拒絶したいぐらいに嫌いだった。

私が欲しかったのは、明日(未来)では無く、真に自分が生きていると感ぢられる“瞬間”だけだったのである。

一見、私は十代から進歩していない様に見えるかも知れない。しかし、実際には大きく違う。感受性の強い十代の頃に受けた刺激、それらをただ受け身的に求め続けているのであれば問題であるが、これはあくまでも、自発的に、その道を追求し続けた結果なのである。

だから私は、三十代には迷う事など何も無く、自分の好きなものを選びとる事が出来る様になった。

言うなれば、自分の好物を見極めるプロフェッショナルとでも言おうか・・・。

ゆえに、私とて、安定を求めているに過ぎないと言う言い方も出来る。

ただし、社会的に見た場合の、生活様式や人生設計の安定では無く、あくまでも自分のこころの安定と言う意味でだ。

だから、色々欲しい人が居ても良いし、あちこち行きたい人が居ても良い。そう言う人達にとっては、それが安定した状態であるに過ぎないのである。

人それぞれ人生の目的は違うのだ。他人の価値観に振り回されるのはゴメンだし、他人に指図するつもりも無い。

十代での受け身的な出会いは人それぞれに違いがあり、二十代での自発的な探求や追求によってもたらされる出会いも、また様々である。ゆえに、人生の目的が違ってくるのは必然なのである。

人生を豊かにするには、如何に良い出会いをするかと言うのが重要な課題はあるが、そこには多分に、自分の才能以外の要素が含まれてくる。十代で良い出会いが多かった者は運が良かったに過ぎないが、二十代で良い出会いを増やすには自発的な努力が必要不可欠なのである(そう言う意味では、運も才能のうちであり、努力するのも才能であると言う言い方も出来る)。

もしも貴方が、人生において、自分の持つ真の実力を試したければ、すべての出会いを拒否すべきである。

偉そうにしてみても、人間なんて、しょせん運命の手のひらの上であがくだけ。

ゆえに、如何に己の運命に逆らうか、すなわち、外部や他人からの影響を出来るだけ少なくし、如何に自分の意志で決定する事柄を増やすか、自分なりの価値観を築き上げるか、それこそが、真に生きると言う事の意味であり、意義なのではないだろうか。