Mr.エレクトの独り言 広島パンク~ハードコアの歴史⑦<追記アリ>
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

広島パンク~ハードコアの歴史⑦<追記アリ>

お待たせイタシマシタ~!!(^^)/

さて、1982年7月30日。メジャー・デビューした、ザ・スターリンが、“STOP JAP TOUR”にて広島にやって来た。

会場は“WOODY STREET”と言う、多目的スペースであったQUESTを除けば、広島で唯一のライヴハウスと呼べる店。店内の客席部分は、高校の教室を少し広くした感ぢだろうか?そして、ステージに近い前半分が通常置いてあるソファーやテーブルを撤去してのスタンディング状態。後ろ半分は、元から作り付けの木の柵に囲まれた、おそらくテーブルや椅子も固定されているかの、喫茶店(あるいはバー)風な作りとなっている。(ところで余談だが、ここのトイレって全然思い出せないな。行かなかったからかな。)

動員は、う~ん、100人前後と言った所であったろうか。そして、ライヴ中、50人くらいの客は前のフロアで楽しく暴れ、残りの客は物珍しそうに後方の客席で観察と言った所だった。“楽しく暴れ”としたのは、皆、既に昨年のここでのモッズのライヴの時に、パンクのライヴにおけるノリ方を心得ているのか、黙ってつっ立ってる事も無く、かと言って、(前のフロアは広さの割りに人口密度が低いせいもあり、)特にケンカ等が起きる事も無く、大いに盛り上がったと言う意味である。また、「trash」なんて誰も買ってないと思ったら、意外と皆、口ずさんでて驚かされた。また、夏のせいもあるのか、いかにもパンクスと呼べる様な、革ジャンや鎖ジャラジャラさせた輩は、まだほとんど居なかったと記憶している。特に後ろの席の方は、どっちかと言うと、まだ大人向けのサブカル雑誌だった宝島とか読んでる様なタイプが多かった気がするな。

そうそう、あと、この日はドラムがイヌイ・ジュンでは無く、ソドムのハヤトだったのだ。

そしてライヴ後半。ミチロウは、一体誰が持ち込んだのか、鳩だか蝙蝠だかを咥えて転がり回り、客の女の子一人を押し倒して、トップレスにしてしまった。・・・と言っても、ステージ前に行く様な女の子だから、桑野みゆき(←だっけか?ツイスト「燃えろいい女」がCMソングだった時の資生堂のモデル)似の、ガタイのしっかりした女性であったと記憶している。

気が向いたら、当日のセット・リストを、後日、下に記しておくとしよう。(自宅からライヴ・テープ持ってくるの忘れたので・・・。)

ところで、この日、既に活動してたかどうかは知らないが、おそらく“GAS”のメンバーとかも来てたんぢゃないかな?

★それでは、次回は、スターリンのライヴの5日後に行われた、“自我”のヤブキが在籍した“LSD”が、スターリンのコピー等で出場した、広島市青少年センターにおける、「無名人コンサートS(←スターリンでは無く、スペシャルね)」の模様をレポートしよう。そういやあ、モッズの完コピ・バンド、“REACTION”って奴等も登場したっけな。(・・・と、当日の資料を見ながら、しばし感慨にふける・・・。)

(つづく)

<追記>しかし、“LSD”に“REACTION”って、ADKレコードかよ!?・・・みたいな。(もちろん、同名異バンドでやんす。)