Mr.エレクトの独り言 死がもたらすもの<改定版>

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

死がもたらすもの<改定版>

ここんとこ忙し過ぎデシタ。書かねばならない事も色々あるが、次の店番の日にしよう。

さて、私は、このブログを始めてから、物事を頭の中だけでおぼろげに思い浮かべるのではなく、思念を言語に変換し、記録して行く事よって、強烈に芽ばえた意識がある。

それは、「何故に人は死ぬのか」と言う、我ながら、今更考えた所で無意味だと解りきっていると思える程の愚問である。

そもそも、すべての苦悩、葛藤、不安、怒り、困難、不幸、悲しみは、“人はいつか必ず死ぬ”と言うタイム・リミットがもたらしているのではなかろうか。

いかなる人間も、“死”、すなわち“無に帰せしめられる宿命”から逃れる事は出来ない。死後の世界を信ぢる者は別として、命に終わりがあるからこそ、その短すぎる人生の間中、人は焦り、奪い、争い、殺し合うのだ。

ゆえに、私は、この“死”と言う現象を、憎んでさえいるのである。

例え、それが如何なる現実であろうとも、そんな理不尽な仕打ちを黙って受け入れられるはずがあろうか!!

誰が一体、この様な“悲しみの根元”を、人間、そしてすべての生き物に備え付けたのか?

だが、ふと想像して見る。死の無い世界を・・・。

もしも、生き物に、“死”、すなわちタイム・リミットが無ければ、どうなるだろうかと?

一見、誰もが自由に好きな事をやり、いつまでも楽しく暮らせそうな気もする・・・。

が、しかし、期限が無ければ、いついつまでに何を達成しなければならないだとか、あげくの果てには、食事を摂るための最低限の努力であるとか、何らかの生命維持活動すら、してもしなくても良い訳で、その様な危機感の無い状況で、何かをしようと言う意欲なり、目標が芽ばえるだろうか?

そうなると、人間は、良くてナマケモノ、そして何億年か後には、もはやアメーバの様な、生きているのだか死んでいるのだか解らない様なものになってしまうのではないのか?

否。それはそれ、アメーバならアメーバなりに、生きている事に対する充実感なり幸福感があるのなら話は別だが・・・。

そう考えると、この理不尽な“死”と言うものこそが、“生命”に輝きを持たせ、自ら人生に意味を求めんとする意志を芽ばえさせているのだとも言える。

と、同時に、不安定なこころに死神の如く忍び寄る、「どうせいつかは死ぬんだ」と言う厭世観、及び“死”、すなわち“無限に続く、完全なる無”に対する拭いきれない恐怖、更には、不意に訪れる虚無感・・・。

しかし、そこから逃れる術も、最近、おぼろげながらに解ってきた。

欠陥人間にとって、この世は、ニンとも生きにくいのでゴザルよ・・・。