Mr.エレクトの独り言 振り返ってみると・・・

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

振り返ってみると・・・

結局のところ、私自身が、権力を持ち得ないがゆえ、虐げられているがゆえに、裕福な人間よりも、自分と似たような人間を応援してしまうのだが、よく考えてみれば、そんなものが長続きするはずが無いのだ。

そもそも、裕福な人間とは、自分の持っている何かを削ってまで、誰かを応援したりなんかしない。

彼らは、ただ、“買うだけ”である。

札束の詰まった財布から、あるいは、桁数の多い残高が記された口座から、ただ一枚の札を抜き出すのみなのだ。

しかし、受け取る者にとっては、その値段のみが重要であり、その額面こそが、自由を獲得するために必要な権利であり、権力である事も、また事実。

そんな現実の中で、一体何が出来るのか。

やめるにも、あきらめるにも中途半端。

否、中途半端と言うのも、自分がそう思っているだけに過ぎず、元々、何も“起きていない”し、“起こせなかった”とも言える。

裕福な人間にとっては、私達持たざる者が競い合い、奪い合い、罵り合う姿を見て、まるで地獄の釜の蓋を開けた様な光景だとでも思うのだろうか・・・。

不毛・・・。

生れた時から不毛。

否。生れる前から、何世代も前から不毛。

何代か前の先祖から、既に不毛。

誰もが、その不毛さから、少しでも逃れようと必死なのである。

だから、趣味や生きがいの無い者は、自殺するか、犯罪を犯し、更に誰かを傷つける。

この世は、お金さえ払えば、少々の気晴らしや現実逃避は出来る様になっている。これも皆、この地獄を作り上げた支配者様の、寛大かつ、徹底的な管理体制による恩恵(怨刑)であろうか。

もはや、力無き者が結束しての、一揆なんて有り得ない。

ただし、勘違いしてもらっては困る。

もしも、私が裕福な人間であれば、自分の幸福を最優先に考え、虐げられている人間を更に抑圧し、搾取し、更に自分の私腹(至福)を肥やそうとするであろう。

何故なら、裕福さを維持する事も、そうそう楽では無いのだ。

音楽やスポーツ、その他の何かに感動しても、決して自分の立場を危うくする程、のめり込んではいけない。かと言って、裕福な者は、少々のめり込んだところで、それが原因で自分の人生を危うくするほどには貧しく無い。ゆえに、むしろ、何に対しても全力で取り組み、自己の限界を試す事も出来る。

ああ、何と素晴らしいのだろう。やりたい事がたくさん出来て、しかも死ぬまでやり続ける事も許される。自分の能力を最大限に生かす事も可能であり、ありとあらゆる可能性にもチャレンジ出来る。ああ、こうして想像しただけでも、何と素晴らしい人生が送れる事だろうか。一度で良いから、そんな生き方をしてみたいものだ・・・。

裕福とは、お金をたくさん持っている事のみを指すのでは無い。どれほど自由であるか、その度合い、範囲、限度において判断されるものなのである。

しかるに、持たざる者は、数ある中から、どれか一つを選ぶしか無い。

しかも、どれを買っても、その収益は、裕福な者を更に裕福にするために吸い上げられるのみである。

だから、それがどんなに高級な料理であろうとも、いかに優れた音楽であろうとも、裕福な人間が作ったものなんて、私は一切、興味が無い。

何故ならば、私は裕福(自由)になりたいのであって、裕福(自由)な“気分”を味わいたい訳では無いのだから。