★以下は、4ヶ月前に書いたけど、お蔵入りにしていたものを、改筆して発表するものである。
我が身を振り返り、ここ数年で大きく変わった事・・・。
昔ならば、例えば、私は肉が嫌いで、「肉を喰う奴の気が知れない」とさえ思っていた訳だが、最近は、「肉を喰いたい奴は喰えば良い。でも、俺は死んでも喰わない」・・・となった。
これはどう言う心境の変化か?
つまり、これは何も、肉食人種の存在を許す気になった(←超エラソ~!!)と言うよりは、自分以外の、世界中の人間が一人残らず肉を喰らおうとも、私には何の関係も無い事であると認識したからに他ならない。
考えてみれば、私が肉を嫌いな理由は、皆が肉を喰う事に対して反発している訳では毛頭無く、どこの誰が肉を好きだろうが嫌いだろうが、どれだけ大勢の人間が肉を喰おうが、それとは全く無関係に、ただただ、私自身が肉を嫌いだと言うだけの話に過ぎないからである。
よって、毛虫やゴキブリを喰う事が常識の国に生れたとしても、私が、それを喰うか喰わないかは、あくまでも、自分自身で決定するだろう。
ゆえに、もし仮に、そんな私に対し、「肉を喰うのが常識の国に住んでいるのだから、肉を喰うのが当たり前だ」・・・とおっしゃる方が居たとして、ならば、その方は、毛虫を喰うのが常識の国に生まれたら、当然の如く、毛虫をも喰らうのであろうか?
ううむ。今は「キショイ~」って思っている人も、その国で生活していれば、多分、普通に喰っているのだろうな。
しかし、そもそも、栄養があるから喰えと言うのなら、別に肉や毛虫で無くとも良い訳だし、栄養を摂る摂らないに関しても、肉を喰わないがために栄養失調で死んだとしても、そんなの個人の勝手では無かろうか?
「天国のパパ、存命中のママ、親不孝でゴメンね。」
・・・と言うのは、ジョークとして・・・。
問題は、自分にとって必要か、そうでないかと言う事である。
私は、とにかく、自分で確かめ、自分で決めたいのだ。
ゆえに、私にとって、肉は美味しくないと感ぢるから喰わないだけの話。
だって、“味覚は共有出来ない”って思わないかい?
理想は、すべての決定を自分で下せる“自由”を得る事。
今は、それ以上に幸せな生き方は無いとさえ思える。
ところで、「肉の味は好きぢゃないけど、栄養があるから我慢して食べてる」・・・てな人は居るのかね?
結局は、皆、美味しいと感ぢるからこそ喰うんでしょ?・・・であれば、美味しくないから喰わないと言う理屈も通るはず。
よって、これは屁理屈でもへったくれでも無く、「美味しく感ぢないものは美味しく感ぢない」と言うだけの事なのである!!