4番手は、当ライヴ企画主催者である、組織暴力幼稚園。
組織暴力幼稚園のメンバーは、白塗りしてたりコスプレしてたりと、一見、ヴィジュアル系だかナゴム系だかであるのだが、もっと解りやすく言うなれば、丸尾末広の漫画に出てきそうなバンドとでも言えば、伝わり易いだろうか。
よって、歌詞や楽曲も、現実をありのまま歌うと言うよりは、むしろ、シュールな表現がメイン・・・であった(過去形~その理由は後述する)。
ただし、ヴォーカルの園長先生によるMCは、建前社会ではタブーとされている本音丸出しで、日々、多くの人が見てみぬ振りをして誤魔化している暗黙の了解事項を白日の下にさらけ出すため、バンドが持つ、作為的な見世物のイメージとのギャップに、観客が引いてしまう事もしょっちゅうであるようだ。
園長先生「こっちはライヴハウスに金払って出演してんだから、自由にやりたい事やらせてもらうだけですよ。」
この日のライヴも、割とそんな感ぢであった。
ところが、その後、神楽坂DIMENTIONにおいて、私が観たライヴでは、歌詞や楽曲に、日頃はMCによって吐露される園長先生の本音が色濃く反映されており、“シュール”から“リアル”へと、その表現方法が変化してきた様に思われた。
園長先生「バンド活動なんて、下らない人生を、更に台無しにするための、単なる暇つぶしですよ。」
思えば、あのシュールさも、どうせ理解なんてされやしないのだと言う、一種の諦念と言うか、虚無感を笑いとばすための、屈折した表現だったのであろうか。
厳しい目で見れば、今はただ、割れたガラスの上に身をさらし、好き勝手に暴れるだけのバンドでしかないのかも知れない。しかし、その良し悪しを、あえて私は問わない。
何故なら、人のこころの中に吹き荒れる嵐を止める事など、誰にも出来やしないのだから・・・。
果たして、この純粋無垢なる破壊衝動は、自虐行為のままで終わるのか、それとも、今後、何らかの意味を持ちうるのであろうか?
否。彼ら自身に、“やる意義”さえあれば、それで充分なのである。私達は、この自由にして正直な生き物の生態を垣間見る事の出来る、“時と場”を与えてもらっている立場でしかないのだ。
そして、後は、その権利を、貴方が行使するか、無視するか。ただそれだけの話なのである。
園長先生「観に来れば分かるし、観に来なければ分かりません。」
・・・トノコト。
(つづく)
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