ライヴハウスが増える事によって、音楽を演る人間にとっては、人前で演奏する機会こそ増えたが、実際には、肝心の客が居ないと言う事実が、現在、非常に深刻な問題である。
もちろん、ある一定のレベルを越えて売れているバンドは、固定客が居たり、客が客を呼び、それなりに成り立つのであろうが、大抵は、出演者の身内や、知り合いのバンドが互いのライヴを行き来しているだけで、ある種、ノルマを負担しあって共存していると言うのが現実であろう。
しかし、これを出演者の努力不足であると決め付けるのは、早計である。また、確かに、ライヴハウスに足が遠のく様な、酷いバンドが多いと言う事実にも、それなりの理由がある。
何故なら、ライヴハウスにとっては、ノルマ制を強いる事により、出演者からお金を徴収しさえすれば経営が成り立つ訳で、日々、誰かしら出演させていれば、店に客が誰一人も来なくても、商売が成り立ってしまうゆえ、客を呼べる良いバンドを本気で探そうとか、特定のバンドを優遇して育てて行くよりも、とにかく、毎日ブッキングを埋める事の方が賢明だって訳だ。
なんせ、出演者、すなわち人前で演奏したがる人間は、それこそ山ほどいる時代だからな。店側にとっちゃあ、観に来る人では無く、出演者こそお客様なのであって、音楽の内容や演奏の質はもちろん、しまいには観客動員力さえ不問となっても、何ら不思議ではないのである。
事実、ライヴハウスが少なかった頃は、出演させるバンドの審査基準も、動員力の有無に限らず、演奏自体の質や内容に関しても厳しかったろうし、それゆえ出演者のレベルも、おのずと高かったはずだ。だけど流石に、これだけライヴハウスや、それに準ずる店が増えちゃあ、そろそろ、淘汰されて潰れる店も出てくるのではないだろうか。
トナルト、この先どうなるかを予想するならば、せいぜい、お客様(出演者)が気分良く演奏出来る環境やサウンド・システムは当然、更には、友達や彼女を呼べるおしゃれで小奇麗なお店に、出演者の人気が集中するだろう。
そうなれば、ますますもって、資本力のある店ばかりが幅を利かせ、音楽そのものよりも、商売を優先する、“金持ちの貯金箱”ばかりが蔓延る事となり、売れないミュージシャンは、ライヴハウスに出演するため、人前で演奏したいがために、ますます本来の音楽活動、すなわち練習したり作詞作曲する時間を削り、アルバイトや労働に時間を費やさねばならず、夢はおろか、“可能性”すら、いつまで経っても、資本家どもに搾取され続けるのみなのである。
もう、いい加減にしやがれ!!
客が入らない事を、ライヴハウスだけの責任にするつもりは無いが、せめて、出演者とリスクを折半してみれば良い。良いバンドを抱えたり、引っ張って来れないのは、間違いなくライヴハウス側の責任でもあるのだから。また、それを明確にするためにも、出演者もライヴハウスを“選ぶ”必要があり、観客も、ミュージシャンのみならず、ライヴハウスの経営ポリシーさえも判断基準として、自分が聴くものや観る場所を、“選ぶ”べきなのだ。
・・・って、無理か。“観客”はいつだって、傍観者であり、ただただ受動的に、聴きたいものを聴くだけだし、観たいものを観に行くだけだからな。
だけど、出演者側も、もう少し考えた方が良いぜ。
・・・って、これも無理か。音楽が好きで、人前で演奏したい気持ちってのも、良く解る。練習スタジオでのリハーサル代に始まり、ライヴハウスへの出演料まで、いくら搾取されたって、やっぱライヴは演りたいだろうしな・・・。
結局、音楽に、観客動員数、すなわち集金力以外の価値を認めるリスナーが増えない限り、・・・否、言い直そう。主体性の無い人間には、何を言っても無駄である。世の中を動かしているのは、“金”であり、“力”であり、目的はどうあれ、“主体性”ってやつなのだ。・・・よって、給料を受け取る立場の人間よりも、金を動かす立場の人間の思考や志向こそが重要であり、そんな、金儲け以外のものに価値を見出す“資本家”や“金持ち”が増えない限り、この悪循環は断ち切れっこない。
とは言ったものの・・・。
あ~あ。金持ち、感動せず。貧乏、ケンカ出来ずだからな・・・。
(つづく)
以下は余談・・・。
日本の金持ちは、ビル・ゲイツに寄付したって言う、海外の株の投資家を見習って欲しいね。持論が、「子どもは(大富豪としての)親の地位を受け継ぐべきではない。親の資産を当てにせず、自ら努力すべきだ」とかで、株の購入にしても、値段が上がりそうな株を投資目的で買うんぢゃなく、本当に良い仕事をしていると思える会社に出資(要するに支援)する感覚なんだってね。
金のなる木に水をやるのか、美しい花を咲かせるであろう植物に水をやるのか。
真の豊かさとは何ぞや?