我慢は自慢にならない。
我慢の限界、臨界点は、自分が決めるしかない。
他人が苦しかろうが、苦しくなかろうが、全く無関係に、自分が苦しい時は苦しい。
多少、気分が緩和される事はあれど、比較してどうなるものでもない。
前向きな目的の無い我慢は、消極的な自殺行為である。
永続的、あるいは断続的な我慢は、突然の死をもって終りを迎える。
負荷に耐え続けた結果、ポキッと折れる。
その時期は、本人にも、ましてや他人になど、解りっこない。
我々は、想像する事でしか、他人の苦しみを知る事は出来ない。
そして、苦しみの感情は、自分が味わう事によってしか実感出来ない。
せいぜい、“思い出す事”が出来るくらいだ。
“思い出したくない事”を・・・。
我慢によって、失うものと、得るもの。
それらを比べ、決定するのは、自分自身である。
そうしなければ、人は、時の渦に巻込まれた運命の奴隷となる。
そして、それらが意味するものは、抗う事無しに、死を受け入れると言う選択に他ならない。