Mr.エレクトの独り言 その後の、“断絶間”
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

その後の、“断絶間”

さて、デビュー・ライヴでは、ヴォーカルが聴こえず、本領発揮とは行かなかった“断絶間”であるが、あれから3度ほど、そのライヴを観る機会があった。中でも、池袋手刀でのライヴが、小屋も広いせいか見やすく、特に印象に残った。

ところで、“断絶間”同様、漢字3文字のバンド名を冠した、かのスターリンの前身である“自閉体”とは、未だ、「どうやればパンクになるのか?」すら解らなかった時代における、手探りの試行錯誤の途上に咲いた徒花であり、若気の至りが生み出した大いなる勘違いの産物であるのだが、それゆえに“自閉体”のサウンドは、形にならない初期騒動がいびつなままむき出しとなっており、ある種、本来の意味での“パンク”足りえたのだと、私は考える。それでは、“断絶間”とは、日本のパンクの歴史において、如何なる立ち位置を獲得しているのであろうか?

ちなみに私は、断絶間を、当初、“ずるい”と称し、そして後に“意地悪なバンド”であると称した。

何故ならば、もはや現代は、「どうやればパンクになるのか?」「どうやればカッコ良く見えるか?」「どうやれば客が喜ぶのか?」と言うマニュアルを、当然の如く知り尽くしている事が大前提であるにも関わらず、彼らは、あえてそれを外し、意識的に避け、斜め横を向き、平気で後ろ姿を見せるからである。

そもそも、断絶間の音や演奏を、言葉で表すならば、“陰”であり“鬱”であり、そこには、“降り止まない雨”や“長引く泥沼の戦争”、“出口を見出せない自問自答”、“終りなき苦悩と葛藤”、等のネガティヴなイメージが、べったりとまとわりついている。もし仮に、彼らの音に爽快感があるとすれば、手首をカミソリで切った時に噴き出す血のほとばしりに近い性質のものであろう。

具体的に述べるなら、ヒステリックな音色のギター、太くうねるベース、タイトでメリハリのあるドラム、これらを組み合わせて出来上がるのは、通常、ちょっと激しくノリの良いロックン・ロール、あるいは、極上のパンク・ロック・サウンドであるはずなのだが、彼らの楽曲は、「楽しませてくれるのが当たり前」と言った、能天気なリスナーの安易な期待を裏切る、“悪意”(あるいは、明確な意志と呼ぶべきか・・・)に満ちており、その姿勢は、パンク・ロックの精神と言うよりは、むしろロックを否定しながらも、実は極めてパンク的であったP-MODEL等、テクノ~ニュー・ウェイヴ系ミュージシャンに近いものであると、私は感ぢた。

また、ミーハー的な観点から見ても、鮎川誠ばりの細身の男性ギタリスト“ヤミに”氏、小柄なマスコット的存在のベーシスト“オオイ”嬢、理知的かつ端整なたたずまいのドラマー“梶”嬢、・・・と、ロック雑誌やファション雑誌のグラビアを飾ってもおかしくない、この3名が演奏を始めたら、誰もが、“既にカッコイイとされて(定義づけられて)いる”パンク・ロックの演奏が始まるものと、期待するであろう。

しかし、そこに、ヴォーカリストの“窓野(←改名したらしい)”氏が、まさしく、平和な食卓を台無しにするために、窓から忍びこむ侵入者の如く、ステージに登場するのだが、この男、“引きこもり”か、あるいは、’70年代の田舎の暴走族が着る様なジャンパーを羽織り、顔には大きな白いマスクと言う、不穏かつ不審極まり無い出で立ち(いでたち)なのである。そして彼は、時折、目をカッと見開き覚醒する瞬間を垣間見せはするものの、基本的には、猫背でうつむき加減に、まるで恨み言か呪文を唱えるかの如く、しかも感情を押し殺した様な低い声で、ただただひたすら、呪いに満ちた言葉を吐き出し続けるのであった。

その在り様を見て、私は、見慣れない生き物に対する“畏怖”を覚えると共に、しかし、猛烈な感動に襲われた。

「少なくとも、ライヴ・ハウスのステージにおいて、こんな人は、今まで観たこと無い」・・・と。

そして何故だか、私は、このヴォーカリストの姿が、頭に焼き付いて離れなくなってしまった。

その理由はきっと、彼が、遠藤ミチロウにも、町田町蔵にも、日影晃や長谷川ヒロトモ、あるいは、“既に存在価値を認められている、どこかの誰か”になど、なろうとしていないからであり、更には、ロックン・ロールの作法や、パンク・ロックのマニュアル、果ては、現代社会を支配する“カッコ良さの定義”にすら、隷従していないからであろう。おそらく、彼が尊守すべき“ルール”とは、あくまでも自己の価値観や美意識に忠実であると言う一点のみに尽きるのだ。

(断っておくが、筆者は、ジョニー・サンダースも大好きであると言う様に、超ミーハーな部分も備えた男なので、単なる変人好きや悪趣味であるとの誤解無き様に・・・。)

更に言えば、断絶間の意地悪な部分、すなわち、目的意識に貫かれた頑固なまでの徹底度と、古いしきたりに阿(おも)ねない潔さこそが、本来、パンク・ロックが掲げたアティテュード(理念・思想・姿勢)である、“個人の自由な精神の解放”以外の何物でもないと言う事実は、何とも皮肉な話ではなかろうか。

ゆえに、仮に、まんまと彼らの術中に嵌り、断絶間を好きになってしまったならば、それすなわち、“独自な価値観の提示”や“自主的なスタイルの創造”に対し、理解を示したと言う事であるからして、その姿勢に共感する事はあっても、彼らに何かをしてもらおうと、ましてや、安易に楽しませてもらおうなどと考えてはいけない。

何故ならば、“リスナーの依存心や安心感を覆す事”こそが、“リスナーの期待を裏切らないでいられる”誠実な方法論の一つであると言う事を、彼らは、充分心得ているからである。

果たして、今後、彼らの“意地悪さ”と、“権威(すなわち、しょせん一時の流行でしかない既存の価値基準)に対する反逆精神”とが、まさしくパンク・ロックの最大の効用たる、“自分で物事を考えない人間に対し、覚醒のきっかけを与えるカンフル剤”となり得るのであろうか?

断絶間が目指すものとは、一体!?

ああいかん!!既に、私も考えさせられている!!

★断絶間の、全7曲入りのCD-R作品が発売されマシタ!!現在は、ライヴ会場でのみ販売中。なお、次回8月25日のライヴを最後に、来春まで活動休止する模様デス。

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