人間に寿命、すなわちタイム・リミットがある限り、私達は、好むと好まざるに関わらず、“選ばざるを得ない”場面に、多々出くわす。
ゆえに、自分の好き嫌いで物事を判断し、選び取る事こそが、最も重要となる。
誰だ!!
しょせん一時の流行でしかない既存の価値基準、あるいは、ある目的のためにでっち上げられた、一部の人間だけに都合の良い、手前勝手極まりないルールを、さも権威あるものであるかの様に押し付けるのは!!
もちろん、好きになる努力、理解しようと務める事も大事ではある。
しかし、それらはあくまで、自発的な意志に基づいていない限り、単なる苦役でしかない。
ヒトが、この世に生まれたからには、楽しく生きなければ嘘だ。
ただし、他の誰かを犠牲にしたり、傷つける事無く。
誰だ!!
手前が利益を得るためだけに、私達に、一方的な価値観を植え付けようとするのは。
もう、利用されるのは、搾取されるのは、家畜にされるのはゴメンだ!!
夢なんぞ、個人の欲望を美化したに過ぎないが、夢も希望も無い、この世の中。
せめて、自分の好き嫌いくらい、自由に発言出来なくて、生きている意味などあろうものか!!
ましてや、他人の利益のために、自分の嗜好を曲げてどうする。
・・・とは言え、選んでいるつもりになってはいるが、実に狭いバリエーションの中から、やむを得ず選択させられていると言う事も、また事実。
子供の代用品として可愛がられるペットならともかく、自分が食べているものより美味しいものを、家畜に喰わせる飼い主なんて居ないからな。
だけど、否、だからこそ、無理矢理差し出される餌なんて、絶対に食わない。
健康維持のため、すなわち自分の為になると言うのであれば、ともかく。
プチ支配者気分を味わうために、多くの人間が労力を注ぎ込んだ高級料理を食べるくらいならば、自分で工夫をこらして作った創作料理を食べた方が、よっぽど有意義だ。
繰り返し言う。他人から何かをしてもらう事で味わえる、プチ支配者気分なんて、味わいたくない。
あくまでも対等に、お互いの利益、喜びになる関係性を築かなければ、こころの底から楽しくなれない。
ただし、憎むべきは、目の前に居る、洗脳され飼い馴らされた子羊達では無い。
本当に呪うべきなのは、貨幣制度や土地(あるいは資源)の私有化によって、血の継承を磐石にした、支配者階級の始祖であり、その末裔達なのだ。
人間の努力が、汗が、情熱が、正当に評価されない世の中なんて、絶対に受け入れられるものか!!
ふざけるのもいい加減にしろ!!