生まれた時から競走馬。
望んでないのに競走馬。
競走馬を走らせて利益を得る、胴元に生まれたならともかく・・・。
競走馬が、胴元になる事は有り得ない。
せいぜい、競走馬のボスどまり。
競走馬として生まれたならば、競走馬としての能力、優劣、性能でしか、存在価値を問われる事は無い。
競争に参加したくなくとも、参加を余儀なくさせられる。それが、競走馬として生まれた者の宿命。
競争への参加を拒否するヒネクレ者はもちろん、競争についていけない役立たずは、隅に追いやられ、屠られてゆくのみ。
近所の主婦の会話。「○○サンとこのムスコさん、コナイダのレースで優勝したみたいよ。」「あらそう。それは奥様も鼻が高いわね~。」
小学生の作文。「大きくなって、レースに参加出来る競走馬になったなら、胴元に誉めてもらえる様な、いい走りをしたいと思いマス。」
それが、競走馬の生き甲斐。
それが、競走馬の存在価値。
それが、競走馬の夢。
夢・・・?
そう。立派な競走馬になれる可能性が、少しでもある者にとっては・・・。
ただし、大した能力も無く、そのくせ、立派な競走馬にならなければ、生きている価値が無いと思い込まされ、洗脳されている者にとっては、この世は、ただただ地獄でしか無い。
胴元は偉い人。
胴元は立派なお方。
胴元は素晴らしい。
何故なら、胴元は人間だから。
ヒトがヒトを支配するのは良くないけど、ボクらは競走馬だもんね。
胴元に感謝。
ボクらに、生きる事の意味を教え、意義を与えてくれた・・・。