Mr.エレクトの独り言 世の中に認めてもらうには・・・<一部訂正済>

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

世の中に認めてもらうには・・・<一部訂正済>

何と言うのか、「自分の考えや、行為、作品を世の中に認めさせる」と言う事は、本来の意味からすれば、世の中、すなわち「他人に自分の考えを“認めさせる”」事であり、「世の中や他人の価値観を変える、あるいは覆す」事であるはずなのだが・・・

世の中に“認められる”には、ある程度、世の中のルールに従わなければならないと言う矛盾。

“認めさせる”と、“認められる”の違い。

そして、“ある程度”とは、“どの程度”なのか?

「世の中に自分の存在を認めさせる」と言う事が、「世の中に自分の存在を認めてもらう」事であるならば、それは要するに、受身的に“してもらう”訳で、そんなものが自己表現だとか、真の自主独立と言えるだろうか?

答えは、ノーだ。

そもそも、世の中が認めようが認めまいが、明らかに自分は生きて存在しており、色々な事を考えたり行ったりしている訳で、それを認めろとまでは言わないが、必要以上に、その存在や価値を否定される謂れが、何処にあろうか?

「解ってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか」とは、チェッカーズの歌であるが、例えば、確かに食べてはいけないものと言うものがあり、生命に損傷や危険を及ぼすものは、食べるべきではないだろう。しかし、日本では喰わないと言うだけで、とある国においては、芋虫が栄養満点の豪華なデザートである場合、それを喰う事に、何ら問題は無い訳で・・・。

要するに、あくまでも、地域限定、時代限定に過ぎない価値観、それも、生き物の生き死にに関わる事柄ではなく、ましてや、ヒトを支配し搾取し家畜化するために植えつけられた価値観なぞに、認められる必要が、どこにあろうか?と言う事を言いたい訳である。

他人を傷つけたり、自分の命を粗末にしているのならばともかく、変人だとか、流行遅れだとか、競走馬失格だとかの評価に対し、劣等感を感ぢる必要は、どこにも無いと言う事だ。

とは言え、短絡的に、少数民族だから、貴重ゆえ価値が高いと言う訳でもない。

要は、この地に存在するために、どれだけ、ご主人様に従順であるか、家賃をどれだけ支払っているかと言う点が、人間としての価値を計るバロメーターであろうはずがないと言う事だ。

認められようが認められまいが、居るものは居る訳で、自分勝手な誰かさんの都合で、益虫と害虫に区分されてたまるか。

区分するなら、家畜度、逆に言えば、自主独立の度合いによって判断して欲しい。

・・・って、だからこそ、家畜度の低い者は、今の世の中では、駄目人間扱いされると言う事も事実ではあるが・・・。

世の中に認められると言う事は、現在の世の中を利己的な目的で動かしている一握りの人間達に誉められる事でしかない。

ゆえに、結論を言えば、劣等感を感ぢる時点で、貴方も私も、既に、この世の価値観に大きく左右されていると言う事でもある。

むしろ、劣等感、否、罪悪感を感ぢなければならないのは、自分達の利己的な目的のためだけに人間を家畜化しようとする、一握りの人間達の方なのだ。

よって、私は、“世の中に役立つ人間”、すなわち、“優秀な奴隷”になるよりは、むしろ、“世の中の役に立たない人間”の役に立ちたいと思うのである。

誰をも傷つけず、奪わず、犠牲にせず、自分の命を喜ばせる様な生き方をしている人間に、私はなりたい。