逃避が必ずしも後退では無い様に、闘争が必ずしも前進であるとは限らない。
“其処(底)”に居たくないから、“此処(個々)”に逃避する事もあれば、此処に居続ける(個々であり続ける)ために、闘争をする場合もあるのだ。
しかし、最も重要なのは、そんな風に一進一退を繰り返しながらも、思考は前進しなければいけないって事。
・・・ではなかろうか?・・・と私は思う。
・・・て言うか、そうしてしまう自分が居る。
若い頃は、目の前の障害物や、身近な抑圧者を憎むだけで精一杯だったし、“敵”を置く事によって、自分を奮い立たせても居た。
しかし、己の体力や、能力の限界を感ぢざるを得ない年齢になるに従い、こんな一人一殺の発想では、ただただ命を浪費するだけであり、本当の敵、すなわち真の元凶を取り除く事など、到底出来ない事に気がついた。
・・・と言うか、それ以前に、この近親憎悪的奴隷間闘争こそ、支配者によって仕組まれた罠ではないのか?と言う気さえしてきたのだ。
子供の頃、カブトムシ、あるいは他の昆虫を闘わせて遊んだ記憶はないだろうか?
我々にとっては無益でしかない争い事が、もしや、誰かの利益になっているのでは?と言う疑念。
結論から言おう。人間として生まれたならば、“生きている事を楽しまなければ”意味が無い。
そして、言うまでもないが、それは、大邸宅に住む事でもなければ、人より高い地位に就く、と言った、他人と比べる事によって芽生える、“優越感”などではない。
“優越感”なんぞ求め続ける限り、我々は、搾取の対象となる無益な闘争を繰り返すのみである。
悩まない人間、物事を深く考えない人間の得る“喜び”が、悩み多き人間、物事を深く考える人間の“喜び”より大きい訳が無いではないか。
おっと、いかんいかん。また比べてしまった!!
・・・とは言え、面白い!!
上手くいかない人生ほど、悩まねばならないし、物事を深く考えざるを得ないのだから、これほどやりがいのある、生き甲斐を感ぢられる人生などあろうか!?
とても楽しい!!
困難が、苦境こそが、人生を楽しくする秘訣である!!
さあて、この困難をどうやって打ち破ろうか、この苦境をどうやって乗り切ろうかな?ってね・・・。
ウフフフフ!!
バ~カ!!本気にすんな!!悩みなんか無い人生の方が、幸せに決まってるだろ!!
・・・と、こんな事ばかり考えている自分が大好き!!
ウフフ。やっぱ楽しい!!(←やっぱし、バカ?)