Mr.エレクトの独り言 反ファシズム的音楽論(追加:それぞれ個別)
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

反ファシズム的音楽論(追加:それぞれ個別)

音楽の良し悪しは、一概に決定出来るものではない。

何事においても、ジャッジするからには、ものさしや、ルールが必要である。

仮に、「如何に多くの人を喜ばせる事が出来るか」と言う点を基準とするならば、売れている音楽の方が、売れていない音楽よりも、“良い音楽”であると言える。

ただし、だからと言って、「これは“良い音楽”であるから聴くべきだ」と、強要される訳でもないので、それはそれで構わない。

しかし、“良い”と言うからには、何に対して良いのか、そして、その目的や効能に対する効果の度合いこそが、本来は重要視されるべきである。

現在、売れている様な音楽が、パーティーのBGMに適しているのか、独りで本を読む時に最適なのか、温泉宿でのんびりお湯に浸かっている時(←どんな例えや!!)にしっくりくるかどうか、と言う事を考えてみると、必ずしも、万人にジャスト・フィットするとは思えない。

つまり、こう言う事である。ヒット曲よりも、フィット曲。そう、“良い音楽”とは、その使用目的や用途に対して、ある一定以上のレベルの効果を与える事が出来るかどうかと言う点で、判断されるべきなのだ。

例えばギター小僧等、ギタリストの高度なテクニックに対して感動を覚える人間は、音楽にそれを求めるため、歌の内容や歌詞よりも、楽曲の構成や演奏においてギターの占める比重や効果を重視する。ゆえに、彼にとっての“良い音楽”とは、間違いなく、ギタリストの駆使する高度な技術を存分に生かした楽曲を演奏するアーティストによるものであろう。また、その理由は、その音楽が、自分が求めているものを与えてくれると言う事でもあるが、何よりも、ギター・テクニックを極めたギタリストの、音楽における表現方法、価値観を伝える手段や技法に対し、感銘や共感を覚えるからこそ、“良し”するのであり、好きにもなるのである。

そもそも、“良い音楽”とは、ある一定の価値観のみに照らし合わせた結果によって決定されるのではなく、“種々各々、それぞれ個別の目的に対して、どれほど適しているか(効果を上げているか)”、と言う点において判断されるべきなのだ。

よって、本来、“音楽の良し悪し”と言うものは、個人の価値観によって異なって然るべきであり、それを、ある基準で一方的に決め付ける事など、ファシズム以外の何物でもないのである。

あるいは、どうしても音楽を良し悪しで区別したいのならば、“多くの人にとっての良い音楽”、“自分にとっての良い音楽”、“乳幼児にとっての良い音楽”・・・と、その用途なり効能を明確にすべきであろう。

そして、それは、受け手側だけではなく、演奏者側にも言える事であり、一人でも多くの人に喜んでもらいたいと考えるアーティストも居れば、一人でも良いから本当に自分の感情や思想に共鳴してくれる人にこそ聴いて欲しいと考えるアーティストも居るのだ。

更には、本音かどうかは別として、嫌われるために音楽を演っていると公言するアーティストが居るとするならば、彼にとっては、嫌われれば嫌われるほど“良い音楽”を演っていると言う事になる。

ゆえに、如何なるノイズ・ミュージックも、目的があるからには、必ず、その“良し悪し”は決定出来るのだ。

・・・そう言う意味では、何も考えずに垂れ流すだけの音楽ならぬ“音塊”は、ポップ・ミュージックであろうとも、クソかも知れない。否・・・何も考えない人間が共鳴すると言う点においては、そこにも意義はあるのだろうか。恐ろしい事だが・・・。

すなわち、ある一定の価値観で、音楽の良し悪しを決定しようと言う事は、その価値観にそぐわぬ音楽を排除しようとする行為であり、それは、ある一つの価値観のみを容認し、他の価値観を否定すると言う事でもある。

貴方は、誰かに、こう言われた事は無いだろうか?

「そんな音楽、聴いてちゃ駄目だ」・・・と。