Mr.エレクトの独り言 「RAW POWER」的音楽論

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「RAW POWER」的音楽論

重要な事を言い忘れたが、IGGY&THE STOOGESのアルバム「RAW POWER」は、是非とも一度は、’73年発売のオリジナル・ミックス・ヴァージョンを聴いてもらいたい。

もちろん、’97年にイギー自身の手でリミックスされた現行発売版も、パワフルで素晴らしいのだが、このアルバムの良さは、ただ単にカッコ良いとか、ノリが良いとか、迫力があるとか、爆音が心地良いとかだけではなく、もっと根本的な所にあるのだ。

(1997年以降発売のものは、すべてリミックス版。)

オリジナル・ミックス版は、ベース等の低音が小さく、あのヒステリックかつパラノイアックなギターと、イギーの狂犬の様なクレイジーな叫び声のみが過剰に強調された、まさに精神異常者的猟奇サウンドとなっており、その薄気味悪さが、実にリアルで最高なのだ。ただし、この手の題材に興味が無い人には、単に音質の悪い、しょぼいサウンドにしか聴こえないだろうが・・・。

まあ、最近のテクノロジーと言うんデスか?良く解らないけど、生身の人間のこころに触れたいがために音楽を聴いている当方としては、感情や思想をよりリアルに伝えるためにこそ、演奏技術を進歩させたり、機材を進化させる必要があるのだと考えている訳で、そもそも、技術と言うものは、あくまでも、目的を達成するための手段であり、それ自体を身に付ける事が目的では無いと思う訳なのでありマス。

・・・て言うか、生身の人間のこころを求めているのはこっちだけで、音楽を演る人の多くは、本音を伝える事より、自分の才能や存在価値を高く評価してもらう事が目的なのかも知れないから、これは、私の勝手な言い分でしかないのだが・・・。

靴屋が靴を造る様に、ミュージシャンってのは音楽を演りたがるからね~。

だけど、本来は、靴を造りたかった訳ぢゃなくて、外に遊びに行くために靴が必要だから、自分で靴を造り始めたって事だと思うんだよね。そのうちに、他人から誉められたり、自分でも好きになったりして、靴屋になるんぢゃないのかな?

音楽も、元来は何かを伝えると言う目的のための“手段”だったはずなのに、いつの間にか、音楽を演る事、それ自体が目的になってしまったと言うか・・・。

そう言う意味で言えば、私は何も“音楽”を好きな訳でも無ければ、“ミュージシャン”を好きな訳でも無いのだ。クリエイター・・・ちゅうと、なんか嘘臭いから、やっぱ、“自分の考えや感情を他人に伝えたいと強く思っている人”の言葉に耳を傾けたいし、結果、その題材や内容に共感すれば、その手段、すなわち、その音楽を好きにもなるってだけの話。

よって、本当は、漫画でも小説でも演劇でも映画でも構わないんだけど、でもやっぱ、音楽とか歌ってのは、一番、個人の感情を伝えやすい手段ではあるよね。

自分の目の前で、フツーに、ただ泣いたり、怒ったりされても、困るしね・・・。

また、共感ってのも難しくてね。もちろん、人間に付きまとう普遍的な感情ってのは存在するけれど、やっぱ英語より日本語だし、18の少女の歌より、自分と近い環境や価値観に生きている人の歌の方が伝わるよね。外国語の歌より日本語の歌に、自分の好きな歌が多いのは、それが理由。

万人に受ける必要など無いのだけれど、もし仮に、万人に受ける音楽があるとするならば、本当に、人間と言う生き物を感動させる事の出来る普遍的かつ素晴らしい音楽か、その逆に、主義も主張も個性も無い、感動とは一切無縁の音楽だろうね。

「こうでなきゃいけない」ってのは、あくまでも自分が、自分の人生に対して思う事であって、他人や万人にそれを強制しても仕方無い・・・ちゅうか、もっとも、強制したって皆が従うはず無いんだから、「すべからく、人間はかくあるべし」なんて傲慢な思想の方が“妄想”なんであって、「自分はこうありたい」って考える方が、全然マトモって事だ。

一度しかない人生なんだから、やっぱ、自分の気持ちにしっくりくる音楽を聴きたいよね。

ううぅぅぅぅうううぅうわぁぁぁあああああああ・・・!!

・・・俺のこころの内には、今も「FUN HOUSE」の嵐が吹き荒れ、俺の頭の中は、いつだって「RAW POWER」から聴こえてくる悲鳴で埋め尽くされているのだ・・・。

まっ、そんな考え方や生き方自体が間違ってると指摘されれば、「そうかも知れない・・・」とも思うけどね。


・・・だって、仕方無えぢゃねえか!!


好きなんだもん!!(^^)/