例えば、友人と、好きなアイドルについての会話をしたとする。
自分はAと言うアイドルが好きで、友人はBと言うアイドルが好き。
その際、その友人から、「お前、なんでAなんか好きなんや。頭おかしいんちゃうか。」・・・と言われたとしよう。
すると、自分のこころの中に、自分の好きなAと言うアイドルを貶められたと言う思いと、更には、自分自身の価値観をけなされた気持ちから、非常に腹立たしい感情が芽生えてくる事は、否めない事実である。
ん?・・・だが、待てよ。
これが仮に、クラス・メートの女子についての話題であれば、どうだろう?
もしも、自分と友人の好きな女子生徒が、共にAであれば、ライバルとなった二人が火花を散らす恋の争奪戦が勃発し、将来的には、これまた自分と友人が憎みあう結果になってしまうやも知れない。
(この時点で、対象となる女子の好みや意思を完全に無視している事の方が大問題ではあるが、それは置いといて・・・。)
トナルト、逆に、自分と友人の好きなアイドルが、それぞれ異なると言う事は、むしろラッキーであると喜ぶべき平和的な事柄なのである。
何故ならば、友人の好みが自分の好みと異なれば、それだけ独り占め出来る可能性も増える訳で、それに伴い、恋が成就する確率も高まるはずなのだから。
そもそも、考えてもみよ。自分の憧れの異性(あるいは同性、異性人含む)の事を、今この瞬間、友人に限らず、自分以外の誰かが思い浮かべているとしたら、これほどに耐え難い事があるだろうか?
ゆえに、相手の好みをけなしたり、自分と異なる価値観を自分と同ぢに変えようなどと言う行為は、単にライバルを増やすだけの自滅行為でしかないのである。
よって、今後は、自分と友人の好きなアイドルが同ぢだったり、自分と友人の価値観が似通っていても、決して喜んだり、意気投合などしてはいけない。むしろ、それは恋敵の登場であり、同ぢ獲物を奪い合うライバルとして、いずれは反目し合う可能性さえあると、警戒すべき事象なのだから・・・。
しかし、好みや価値観が同ぢだろうが異なろうが、結局、最終的には争う事になるのだから、人間と言うのは面白い。
と言うか、愚かしい・・・。