Mr.エレクトの独り言 広島パンク~ハードコアの歴史⑫(1983年春)

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

広島パンク~ハードコアの歴史⑫(1983年春)

「わりゃ!いつまで待たせるんや!!」(←広島弁)

・・・と、怒られそうなので、そろそろ書きマス~!!なお、読みやすくするために、右下のカテゴリーに「広島パンク~ハードコア」と言う事で、当連載とGASの再結成ライヴのレポートをまとめたので、ヨロシクです~!!(^^)/

さて、2月のQUESTにおける「無名人コンサート」を終え、ギターのナカガワの大学進学が決定したため、「木定がんばるコンサート」落選者を集めて行うライヴが、筆者達のラスト・ライヴとなるのであったが・・・。

その間。3月15日@WOODY STREET、既に就職が決定していたドラマーのナガモトが掛け持ちで参加しているバンド、ヒズミ(先に登場した“Ltd”が改名)のライヴを観に行く。筆者のメモによると、“前座”:ザ・ルーディーズとなっているが、これは、ヒズミのメンバーが、ナガモトを除き、既に大学生か社会人であったためであろう。実際にはザ・ルーディーズの方が知名度はあったはずだ。・・・とは言え、後のストリート・ビーツなんかの時代に比べれば、ホントにマイナー・・・と言うか、そもそもシーンなど無いに等しかったが・・・。

そして迎えた、1983年4月2日@WOODY STREET。もちろん、筆者達は皆、高校を卒業し、筆者とヤブキはとりあえず無職透明状態(←古臭い表現やな~!!)。ナカガワは大学進学のために数日後には上京予定(実際には一年目は静岡校舎)。ナガモトは先に述べた通り既に就職が決定していたので、もう働き始めていたのかな?

ところで、この日のライヴのタイトルは「THE GANBARU CONCERT」となっており、昼から夕方にかけて高校生以下のジュニア部門、夕方以降は大学生や社会人等のシニア部門となっていた。そして、筆者達は何故かジュニア部門のトリだったため、出演スケジュールのバンド名から推理し(・・・たのだと思うが・・・)、いかにもパンクを演ってそうな二つのバンドだけ観る事にし、その二バンドを観てから、メシでも喰いに行く事にした。

その二バンドのうちの一つは、フロントにギタリストとベーシスト、そしてヴォーカルはドラマーが兼任すると言う、珍しいトリオ編成で、すべてアナーキーのコピーを演っていた。当時、ドラムを叩きながら歌うバンドを観るのも珍しかったが、彼らを観ていると、音楽雑誌で写真を、そしてテープ交換で音源を入手して聴いたミラーズが、筆者の頭をよぎった。なお、勘違いで無ければ、この時のドラマーが、後に自我に加入する“ミキ”氏だったはずである。

更に、もう一つのパンク・バンド。それが、GASだった(←連載開始、約1年半。やっと登場したね。ぐっすん・・・)。筆者達より一学年下の彼らは高校3年に進学したばかりであり、その日はまだ、村田氏や後藤氏の参加前、いわゆる結成当時のメンバー編成だった様である。彼らはザ・スターリンのコピーを演っており(・・・もしかしたら「CITY ROCKERS」収録のガーゼのコピーも演っていた可能性もあるが、記憶に無い・・・)、すべて聴き覚えのある曲だったため、この時点では、まだオリジナル曲は演っていなかった。

そして、いよいよ筆者達のラスト・ライヴである。この日はオリジナルの持ち歌全曲を演奏する予定だったので、「夕方からのシニア部門のスタート時間が差し迫っているから、あと一曲で終了せよ」とのスタッフの指示を無視してまで、残り2曲の演奏を強行し(←まあ、パンクだから曲は短いけどネ)、珍しく歌詞も演奏もほとんど間違えず、自分達としても納得の行くライヴあったにも関わらず、ライヴ終了後、実に悲しい報せを受けるのであった。・・・と言うのが、テープ録音を頼んでいたコモリが、当日出演していたプログレ・バンドの演奏を筆者達に聴かせたかったと言う、死ぬほど余計でおせっかいな理由で、用意していたテープに不要な音源を自分勝手に録音した上、更に、肝心の筆者達の演奏を操作ミス(←そのテレコは小型なものだったので、一時停止ボタンを一度押すと、もう一度押し直さないと元に戻らないのだが、奴は停止ボタンと間違えて一時停止を押したままにしていたため・・・)のせいで、録音し損ねると言う大失態をやらかしたのである。ああ、がっくし・・・。(←今だに根に持ってる模様・・・。)

その後、再びGASを観るのは、それから半年後の事となる。

(つづく)

★当日のチケット
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