幼少期に親から脅迫されて育った子供は、「認められる」ために必死で生きている。
だが、親を憎んではいけない。彼らもまた、世の中のルール(支配者に都合の良い仕組み)に脅されながら(踊らされながら)生きているのだ。
また、その要求や期待に対し、常に水準以上の結果を出して応える事の出来る能力を備えていた者は、そうする事によって賞賛なり報酬を得る事が身についてしまっているから、なかなかその呪縛から逃れる事が出来ない。
しかし、その逆に、私の様な駄目人間は、何をやらせても、ことごとく挫折するがゆえに、その要求に対し、疑問を抱かざるを得なくなる。
「何でそんな事する必要があるのか!!」・・・と。
ふうむ・・・。
ところで、「認められる」って?
何のため?誰のため?
他人から?世の中から?
誰が、いつ、他人から認められたいと、あるいは、社会参加なんぞしたいって言った?
決めるのはこっちだよ。
こんな不公平(不平等ではなく)な世の中、誰が参加するか。
そっちがこっちを審査するつもりで居るんぢゃねえ!!
それ以前に、こっちがそっちを認めてたまるか。
そんなに認めて欲しければ、今すぐ、その不公平なシステムを是正する事だ。そしたら認めてやっても良いし、参加を検討しても良いぜ。
ひとりでも多くの人間を奴隷にしたいのであれば、もっと魅力的なご主人様にならなきゃね。
あんたらが、この世の支配者に相応しいかどうか、ジャッジしてやる。
だから、必死で隠せ、必死で騙せ、必死で欺け、必死で奪え。
王が居るから奴隷が居るのではない。奴隷が居るから王が居るのだ。
奴隷を粗末にする王。
奪うだけの王は滅びる。
そんなにご主人様扱いして欲しければ、社会に参加したくない人間の居場所くらい作っとけ!!