Mr.エレクトの独り言 いぢめ問題(検索用:いじめ問題)

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

いぢめ問題(検索用:いじめ問題)

「人からいぢめられないためには、人をいぢめる側に立つ事だ。」

と言うのは、一見、暴論の様ではあるが・・・。

しかし、そもそも、いぢめを行う者とは、既に別の誰か(何か)にいぢめられている(抑圧されている)立場であるか、あるいは、無意識にではあるが、いぢめられる立場になるのを怖れるがあまり、その恐怖から逃れようとして、いぢめる側に回っている場合が多い。

また、“いぢめ”とは、何も、身体に危害を加える事だけを指すのではなく、やりたくない事を強要されたり、その逆に、疎外されて孤独感を味わう事等の、精神的な圧迫による苦痛をも含んでいる。

よって、仲間外れにされる事を怖れる者は、『自分に何か特別な才能や個性がある訳でも無いくせに』、ただ単に集団に所属(または形成)していると言う安心感だけで、他人を見下したり、少数派の人間を迫害する事によって、“優越感”を得ようとするのである。

そう。『自分に何か特別な才能や個性がある訳でも無いくせに』・・・だ!!

そして、最も重要なのは、その“恐れ”の正体であるが、先に述べた、「既に別の誰か(何か)にいぢめられている(抑圧されている)」と言うのが、まさしくそれで、要するに、人間には仲間外れにされる事による“孤立への恐怖”と、人から見下される事によって“劣等感を抱く事への恐怖”が、意識的あるいは無意識的に、こころの根底にあり、常にそれらから脅迫されているのである。

・・・否。それらは本当に、元から“あるもの”なのであろうか?

もちろん、人間が生きていく(生命を保つ)上で、“集団を形成する”と言うのは、必然的かつ非常に有効な方策であり、それは本来、人間に備わった本能的な行為であるとのご指摘もあろう。しかし、本当にそうなのか。

私には、その“恐怖”が、何者かの意図によって植え付けられた“亡霊”あるいは“迷信”めいたものである様に感ぢられてならないのだ。

・・・とは言え、かく言う私も、仲間外れにされたり見下されるのはいやだし、怖い。

ところで、いぢめに遭う可能性は誰にでもあり、そこにはちょっとしたきっかけが必要であるに過ぎない。

しかし、いぢめられ“続ける”からには、やはりそれなりの理由が存在する。

いぢめられっ子は、“抵抗しない(出来ない)”から、いぢめられるのだ。

・・・とは言え、決して、それ自体が悪いと言っている訳では無い。そもそも抵抗出来るくらいなら元より苦労などしないし、せめて抵抗する気概がありさえすれば、いつまでもいぢめられ続けたりなどしないゆえ。

そして、いぢめっ子の心情は伺いしれないが、それは決して楽しい行為ではなく、おそらくは、歪んだ心中に巣食う消し去る事の出来ない恐怖に脅え、その反動から芽生える破壊衝動に、ただただ盲目的に追い立てられているに過ぎないのであろうと思われる。もしも、いぢめが楽しいなんて奴がいたら、それはただの性格異常か精神異常者であろう。

言わずもがな、誰かをいぢめる事によって、目に見えぬ恐怖から逃れたとしても、それは一瞬のごまかしであり、不毛ないぢめの連鎖を断ち切る勇気を持たない限り、こころに潜む不安が消える事は無い。何故なら、人をいぢめる人間は、自分を苦しめる本当の敵、すなわち“自分を脅かす無意識の恐怖”に対して、抵抗せず(出来ず)、目をそらし続けている臆病者に過ぎないのだから。

ゆえに、いぢめっ子もまた、本質的には、いぢめられっ子であると言う言い方も出来るのだ。

いぢめを無くす方法。それは、いぢめられっ子に対して、出来もしない自己改革を迫る事では無い。否、むしろ、彼らにとっては、それすら“いぢめ”に当たるかも知れない。何故なら、先にも述べた通り、それが出来れば元より苦労などしないし、いつまでもいぢめられ“続け”たりなんかしないからである。

いぢめを無くす方法とは、「いぢめをやめる事」、あるいは、「いぢめに対して抵抗する事」以外にはあり得ない。

だが、この世のシステムは、私達を“いぢめる事”、そして私達が“いぢめを連鎖させる事”によって生産性が上がる様に画策されている。トナルト、そんな現体制を構築し、維持する事によって利益を得ている既得権益者が、「いぢめをやめる事、すなわち転向したり改心する事」など有り得ないゆえ、本気で“いぢめ”を無くそうと言うのであれば、まずは、自分自身が「“いぢめの構造”に対して抵抗する事」、それ以外に道は無い。

真の勇気とは、どう考えてみても、弱い者や抵抗出来ない者から何かを“奪う事”などでは無いはずである。

“いぢめ”、そして“いぢめっ子”が非人間的なのは、他人を大事にしないからでもなければ、人間を人間とも思わないからでも無い。

“いぢめっ子”自身が、社会から“人間的な扱い”を受けていないからである。

そう・・・。非人間的な獣が牛耳る、この社会から・・・。