必ずしも、大多数の意見が正しい訳でもないが、かと言って、少数意見の方が正しいと言う訳でもない。
ただ単に、集団をまとめるに当たり、大多数の意見を採用する方が正しい・・・と言うか、不満が少なく、都合が良いと言うだけの話である。
よって、集団においては、大多数の意見が尊重されるのはやむを得ない選択であるのだ。
また、大多数の意見に惑わされる事は良くないが、それ以前に、それが大多数の意見なのか少数派の意見なのかを判断の基準に入れてしまうと言う事自体も、逆に言えば、結局は大多数の意見に惑わされているのだとも言える。
大多数の意見も少数派の意見も、いずれにせよ、赤の他人の意見でしかない。
だから、いちいち考えるのだ。
自分ひとりになって・・・。
それが、自分にとって本当に必要なものなのかどうかを。
「他人と異なる事」や「少数派である事」は、恥ずかしい事でも何でもない。しかし、「自分で考えて決定する事が出来ない」・・・否、最終的には決定“出来ない”までも、自分で考える事をしようとしなければ、人間としての優劣以前に、生きている意味が無い。
・・・と言うのは、今現在の私の考え方なので、この意見を肯定するも否定するも、貴方自身が、“ひとりで考えて決めて欲しい”と、私は願うのである。
このブログが、コメントを拒否しているのは、そのせいでもある。
どこかの掲示板の様に、匿名による数の正義で少数派を迫害したり、多数決で物事の良し悪しを判断させる事はしない。
ゆえに、考えなくても、決めなくても、それでも全然構わない。
・・・と言うか、そもそも私自身は、過去に一度も、「このブログを読め」と宣伝した事は無い。誰かが勝手に宣伝しているか(←感謝してマス)、貴方が勝手に読んでいるだけである。
こちらは、大多数でも少数派でもなく、たったひとりの人間が、自由気ままに、自分にとって正しい(都合が良い)と思える意見を、インター・ネット上に記録しているに過ぎない。
人間の数、すなわち、権力で人を説得しても面白くもなんともないのだ。
たったひとりの人間の真摯な言葉で説得しようとする事にこそ意義が、そして、やり甲斐があるのである。
・・・なんちゃって!!ほにゃらら~!!
テヘヘ・・・。(^^;)