Mr.エレクトの独り言 悪趣味的?音楽鑑賞論

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

悪趣味的?音楽鑑賞論

私は音楽を聴く時に、その演奏者の“目的”が何であるかと言う事を最も重要な判断基準と考えるがゆえ、常日頃から、それを少しでも知ろうと、思考をあれこれ巡らせる様にしている。

もちろん、特に好きなもの(社会に順応出来ず、生きて行く事が困難な人間の、抑圧に対する衝動的な反発等・・・)であれば、直感的に判断出来ると言う自負はあるが、当然の事ながら、この世、そして音楽を演る人間が、すべてそう言う人種では無いゆえ・・・。

よって、自分の好き嫌いで選ぶと言う、ある種、エゴイスティックな(←本来、そうあるべきであり、それに何の問題も無いのであるが・・・)ジャッジでは無く、そのアーティストを客観的に評価しようと考えた場合(←それさえ、する気を起こさせない表現者も多いが・・・)、何よりも基準とすべきなのは、自分の嗜好はもちろん、“専門家(ある特定の目的においては力を発揮するが、決して多角的とは言い難い)の視点”や“世間(大多数の他人)の評価”と言うモノサシでは無く、演奏者本人の目的、すなわち、本人の“意図”がどれだけ達成されているか?“真意”がどれほど伝わっているか?と言う点であると思う次第なのである。

ゆえに、例えば、フラストレーションを解消する事だけを目的に音楽を演っている人間が居るとして、そのアーティストに対し、「ファンが少ないから」だとか「カッコ悪いから」だとか「演奏が下手だから」だとかの一方的な価値観によって「良くないものである」と言う判断を下す事、それ自体は個人の勝手だが、その基準を強引に押し付ける事は、他人の生き方にケチをつけるかの如き、ナンセンス極まりない行為なのである。

もっとも、それが聴きたくもないものを無理矢理聴かされる事であったり、他人の自由を強制的に妨げたり、奪うものなのであれば話は別だが。

・・・とは言ったものの、「その目的(生き方)自体が許せない」と言う言い方も出来るし、自分の嗜好、あるいは、世間で大手を振っている価値観や多数意見でジャッジする事が悪いと言っている訳でもない。

ただし、仮に、自分の価値観が絶対的に正しくて、他の価値観はすべて間違っていると考えるのであれば、その逆の仕打ちをも受け入れる覚悟があると言う事でもあると言う点は、自覚する必要がある。

何故なら、貴方自身が、現世において自分の望むままの成功を収め、自分の考える形状の幸福を手に入れた不満の無い精神状態であるならともかく、そうでないならば、自分が何に対して怒りを覚えるのか、あるいは何によって苦しめられているのか、その原因を突き詰めてみれば、それは自分以外の人間による、「他人の価値観(幸福の形状の多様化)を認めない」と言う考え方からもたらされる、謂れの無い劣等感である事が多いからである。

他人の人生や生き方に干渉する事は、それが如何なる思いやりや愛情に基づいていようとも、基本的には「余計なお世話」である。

そして、他人に対して「余計なお世話」をする人間は、同様に、実は他人や世間から「相手にして欲しい」、あるいは「認めて欲しい」気持ちの強い人間である。

よしよし。そんなに構って欲しければ、私流の「余計なお世話」の言葉を贈ろう。

「貴方は、もっと自分を大切にすべきである。百万人の人間が、貴方の事を幸せであると認識しようが、貴方自身が自分を幸福だと感ぢない限り、それは本当の幸福でも何でもない。」

・・・とは言え、この世は、ある特定の価値観に対し、“早く降伏した者”から順番に幸福を得られる様に、意図的に形作られている事も事実。

話がそれたが、要するに、私が面白いと感ぢる音楽と、面白くないと感ぢる音楽の違いは、表面的なスタイルではなく、明らかにその本質的な部分なので、私を理解しようと言うのであれば、そこまで踏み込まなければ、絶対に無理であろうと言う事なのだ。

・・・と言うか、そもそも、他人を理解すると言う事、そして“音楽を聴く”と言う事は、そう言う事であると、私は考えている。

まあ要するに、私はある種、“音楽”よりも“人間”に興味があり、“鑑賞”する事、すなわち受身的かつ受動的に“干渉”されるよりも、主体的かつ能動的に“観察”及び“分析”する事の方が好きなのだと言う事なのであろう。

トナルト今後は、自分のプロフィール欄を、「趣味:音楽鑑賞」から、「悪趣味:人間観察」にでも変更せねばなるまい。