自分の美学を持って生きている人間は、他人の美学にケチはつけない。
・・・が、しかし、美学を持たない人間に対しては別だ。
何故なら、美学を持たないと言う事は、自分の価値観を持たないと言う事と同意だからである。
更に言えば、自分の価値観を持たないと言う事は、ある特定の目的のために植えつけられた、あくまでも限定された時期と地域にのみ通用する価値観に、その身を任せているだけと言う事でもある。
それはまるで、誰かに収穫されるためにのみ、より良い実をつけようと成長する植物の如し。
家畜ならまだましだが、植物とまで言われた日には・・・。
そもそも美学とは、自分で決めて自分でやると言う、生きる事に際しての基準や方針を、キザな言葉に言い換えただけに過ぎない。
しかしまた、美学とは決して、意識を固定し、思考を停止してしまう事では無い。
よって、本来、表面的かつ内面的な変化も辞さないのが当然なのである。
要は、自らの意志で、自分なりの目的意識を持って生きると言う事、その点こそが重要なのだ。
ゆえに、美学とは、必ずしも他人に理解してもらう必要など無い。
「俺が自由に決めて、俺が勝手にやる。」
・・・ただ、それだけの事なのだ。