1984年9月29日、「東京バトルDAYS・2」。その会場である、今は無き法政大学学館大ホールに、当時まだ10代の私は居た。
その日のスラッヂのライヴにおいて、私の記憶に強く残っているのは「何だかひねくれた人達だな~」と言う印象と、「工事現場で見つかった死体」と言う楽曲における言葉遊びの面白さであった。実際、その歌詞のインパクトはあまりに強く、その後、私にとってスラッヂとは「工事現場で見つかった死体」そのものである・・・と言っても過言ではない程であったのだ。
そして先日、その日に録音したテープを久々に引っ張り出して聴いてみた。正直言って、この様ライヴ生録テープはスラッヂ以外にも何百本とあるため、この日のライヴを聴き返すのは初めての試みである。ただし、以下は、あくまでも今回発売されたCDを聴いた後での感想が主となっている事を踏まえて頂きたい・・・。
<セット・リスト>
①窓辺のアルルカン
②Red Cross
③工事現場で見つかった死体
④+a
ちなみに、法政大学学館大ホールは500人くらい(←この数字は適当に書いているので、後で書き直すかも・・・)は平気で収容出来るホールで、前回の「東京バトルDAYS」が好評だった事や、人気バンドを初め、いわゆるインディーズ・レーベルからレコードを出しているパンク/ニュー・ウェイヴ系のバンドが多数出演する事から、この日もかなりの集客があったと記憶している。なお、メンバー自身に確認した所、この日、スラッヂの出番はトップだった様である。
まず初めに、①~②の演奏はCDを聴いた後だから余計にそう思うのかも知れないが、何だか精彩を欠くと言うか、わざとテンポを落として演奏している様に感ぢられてならない。推測するに、時はパンク~ハードコア・パンク全盛期、ましてやこのイベント自体、出演バンドの殆どがパンク系である事から、速くてノリの良い曲を期待する観客へのイヤミと言うか、当てつけだったのだろうか?今となっては、その本意を知る由もないが、当時、私が“ひねくれた人達”と言う印象を持ったのは、このせいなのかも知れない。(←ひねくれているのは、そう感ぢる私自身だと言う説もあるが・・・。)
そして③、「工事現場で見つかった死体」である。さっきまでのお通夜ムードはどこへやら、今度はいきなりファンキーな楽曲と、激しくしゃくりあげる様にシャウトするヴォーカリスト・・・。「死体としたい」等に見られる言葉遊びも“妙”ではあるが、この様なシュールな歌詞を、この人は何故にそこまで力んで歌うのか?この曲によって、私の耳、そして意識が、初めてそのバンドに向けられた。その瞬間を、私は今でも昨日の事の様に思い出す。それほどまでに「工事現場で見つかった死体」と言うフレーズは印象的であり、そのヴォーカリスト、菅原氏の放つインパクトは強烈であったのだ。
ラスト④。しかし、広い会場のせいでもあるのか、CD収録音源に比べ片岡氏の強靭なギター・プレイが殆ど聴き取れないゆえ、この日のテープを初めて聴き直した時には、どうしてもCDと比べてしまい、不完全燃焼な印象を受けてしまった事は否めない。とは言え、それでも既に楽曲自体を好きになってしまったせいか、何度か聴いているうちに、この日の演奏も好きになってきた。よって、純粋な当時の印象ではないのだが、CD収録ヴァージョンではアップ・テンポで演奏されているこの曲も、この日は①②同様、かなりのスロー・テンポで演奏されており、その、まるで恍惚とまどろみの中へ溶け入ってしまいそうな陶酔感に満ち溢れた演奏ぶりは実に素晴らしく、こちらのヴァージョンも捨て難い名演であると断言出来る。
そして、弾き足りなさを訴えるかの様に乱暴にかき鳴らされる片岡氏のギターと、菅原氏による「サンキュー」との台詞を最後に、スラッヂの演奏時間は終了。あまりにもあっけない、否、そっけない終り方であった。
実際には、残念ながら、この日のライヴを観て、当時ハードコア・パンクにハマり、刺激的な音楽のみを追い求めていた私が、スラッヂにのめり込む事は無かった。しかし、現在こうしてCDが発売され、今になってこのバンドの音を好きになってしまった私にとって、もはや現役のアーティストとして存在しないスラッヂとは、やはり「工事現場で見つかった死体」に過ぎないのだろうか・・・などと考えてもみたりして・・・。
あるいは今後、スラッヂが復活する事はあり得るのか?
その答えは・・・。
(つづく)
↓今回のCD発売告知フライヤー&当時の録音テープ
