Mr.エレクトの独り言 琴線に触れる

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

琴線に触れる

「琴線に触れる」と言う言葉をご存知だろうか?

あるいは、「感受性を刺激する」とでも言い換えれば、解りやすいかも知れない。

要するに、誰もが当たり前に好む様な明快な理由が無いにも関わらず、何故だか、自分のこころの奥底に響くもの、伝わるもの、感ぢるもの・・・。

とは言え、すべての人間に共通する、ヒト科の生き物であるがゆえの本能的な事象も、もちろんあるのだが、各人固有の嗜好と言うか、抗いがたくこころを動かされる対象物と言うものは、人それぞれに異なって当然なのである。

何故ならば、誰も、父や母、生まれた時と場所、自分の人生に関わってくる他人を、すべて自分で決定する事など出来ないからである。

にも関わらず、すべての人間が「これを好きにならなければいけない」だとか、「これを好きにならなければおかしい」などと言う、その人が本当に充実した人生を歩む事よりも、「人から認められる立派な人間」や、「世間様から後ろ指を指されない、恥ずかしくない人間」になる事ばかりを要求する風潮が、後を絶たない。

否、風潮ではない。これらはもはや、洗脳であり、去勢であり、支配のため、搾取のため、人間を家畜にするための政策以外の何物でもないのだ。

人間には、人それぞれに違いがあるからこそ、存在意義があり、その価値があるのだ。

それを、誰もが同様の価値観を持たなければ駄目だなんて、私達は、まるで養豚場の豚か、畑の作物ではないか!!

それはもはや、不健康な豚を屠殺したり、見た目の悪い作物を廃棄処分するかの如き、ある一定の基準に達しない人間を選別、否定、迫害するための、画一的、かつ一方的過ぎる考え方であろう。

更に言えば、好きになる対象物も、自分の好みより世間的に見て価値の高いものや、他人に自慢出来るもの、あるいは、より多くの人を羨ましがらせる事の出来るものを、その選定基準にするとでも言うのか!?

だったら、貴方は、友達に自慢出来ない父母とは今すぐ縁を切るべきであり、スポーツも勉強も出来ない自分の子供はぶち殺すか川に投げ棄てるべきであり、恋愛の対象にも、そこらの寂れた電気屋の息子や、頭の悪い八百屋の娘など選んではいけない。

(電気屋の息子や八百屋の娘に対して他意はありマセン。)

駄目な人間は死ねば良いと思っている人間は、その逆に、駄目な自分に劣等感を持っており、それを克服する事を善しとしているのだから、その価値観に殉ぢ、自分の短い一生を捧げ尽くせば良い。

しかし、そんな一方的な価値観に縛られた、他人の決めた要求水準の基準値に達しない事による苦しみに苛まれる人生など、私は望まない。

私は、自分自身の琴線に触れるものを、大事にしたい。

ただし、それが本当に、私が本心から求めているものなのかと言う疑問、そして、表面的には非常に似ているが、実際には似ても似つかないものであるかも知れないと言う疑念の検証、それらを徹底的に行った上での話である。

私達は皆、知らず知らずのうちに洗脳されているがゆえ、自分をも疑う必要があるのだ。

よって、(「疑う」と言う言い方を嫌う人が多いので・・・)確かめて、確かめて、確かめて、確かめて、それでも残ったものを、生涯かけて愛していきたい。

よく調べもしなかったくせに、後になって「裏切られた」と言い出す様な、自分の怠惰を棚に上げる人間にはなりたくない。

ともあれ、“出逢い”がなければ、何も始まらない。

ゆえに、こんな自分の「琴線に触れる」もの、そして、その時の感情を、私は大事にしたいのである。