やはり、どう考えても、「一度、“換金”しなければいけない」と言う点に、大きな問題がある様に思われる。
資本主義の良し悪しは別として、資本のある人間が編み出した資本主義なんて、胴元に都合の良い出来レースに過ぎないと、私は言いたいのだ。
資本主義と言うと、誤解されるか?
ならば、貨幣制度と言い換えよう。
そもそも、元から貨幣を大量に所持している人間と、まずは自分の能力なり労力を一旦換金しなければならない人間との差を是正せずして、公平な社会など実現し得ない。
・・・とは言え、私は何も、人間は皆、平等であるべきなどと言っているのではない。
平等と公平とは、根本的に別物である。
私はただ、誰もが、その能力と労力に応ぢて報酬を得るべきだと言っているのだ。
こんな世の中では、どんなに頭の良い人間も、どんなに運動神経が発達した人間も、そして更に、いくら額に汗して働こうが、どんなに努力を積み重ねようが、各々がそれに見合った見返りなど得られようはずがないではないか。
もちろん、働きたくない人、すなわち報酬を求めない人間は、あくせく働く必要などない。それこそ、「働かざる者、喰うべからず」である。誰もが、必要なだけ、自分が欲しい分量のためだけに、働けば良いのだ。
(以前にも述べたが、あくまでも、現在の世の中においては、「資本(貨幣)を持たぬくせに、働かざる者は、喰うべからず」・・・と言うのが正しい。あらかぢめ貨幣なり食料を大量に所有していれば、働く必要なんて無いのだから。)
そう考えると、公平(←平等ではなく)に与えられるべき資産(土地や資源)を、何者かが独り占めする事自体が、おかしな話だって事になる。
資産の所有を認めたがために、その所有量、すなわち貯蓄量による差は開くばかり・・・と言うか、初めから、資産を所有する者が勝つ様に仕組まれてるのだから当たり前なのだが・・・。
本来ならば、土地や資源と言うものは、その土地の住人全員で管理し、各々が必要に応ぢて努力した量に見合った分量を公平に分配していけば良いはずなのだ。
・・・にも関わらず、我々持たざる者は、まずは貨幣をたくさん持っている資産家、すなわち既得権益者の下で働き、その既得権益者をさんざん儲けさせた上に、時間と労力を切り売りして得た貨幣を、自分に必要なものを買うために、再度、奪い取られるのが現状なのである。
貨幣などと言う単なる紙切れを、“価値のあるもの”であると取り決めたその日から、我々持たざる者は、搾取されるべく生きる宿命を背負わされる事となったのだ。
それにつけても、この“一見、自由に見せかけた”マジック・・・否、“トリック”。
私には、そのアンフェアさが、どうにも我慢ならないのである。
貨幣と言う“神”ならぬ“紙切れ”を信仰させられている現状から、逃れる術はないものか・・・。
(つづく)