百歩譲って、権力志向は認めよう。
だが、権力の手先ならぬ、権力の手足になってどうする!!
換金能力の高さこそが、ヒトの価値?
いやいや確かに、現在の、この地上の楽園ではその通り。
だけど、いくら金を持ってたって、誰しも必ず死ぬんだ。
その点に関しては大差ない。
ただし、金があれば、死を遠ざける事が出来る事も確か。
そう言う意味では、権利を独占し、権力を手にした人間が勝手に取り決め、私達に押し付けた、貨幣至上主義社会とは、ある意味、命の買占めであり、命の搾取であるとも言える。
よって、その価値観を否定、あるいは少しでも距離を置かない限り、私達は理不尽に命をすり減らされ続けるばかりである。
自分以外の者に命を預けた者は、その良し悪しは別として、奴隷契約書にサインをしたと同義なのだ。
換金能力なんて、あくまでも奴隷の班長としての能力であり、ただ単に権力者に腕を買われた、集金能力の高い奴隷である。
また、奴隷とは、選択の自由を奪われた者を指すのではない。
奴隷とは、それ以前に、思考する自由さえ奪われた者の事を指すのだ。
最近は、奴隷の餌も質が良くなり、それに伴い、メニュー(選択肢)もたくさん用意されている。
これで充分、“選んでるつもり”になれるネ!!
つまる所、神に従順な者は私財を没収され、神に逆らう者には死罪が適用される宿命。
既得権益者がでっち上げた、神ならぬ貨幣と言う紙きれに絶対の価値を委ね、そして、自らの命を捧げる約束を交わした時から、私達の運命は決定したのだ・・・。
あの時。そう、奴隷契約書にサインをした時から・・・。