この世とは、支配(搾取)したい人間と、支配(搾取)されたくない人間の闘争であると思っていたが、どうやら、コトはそう簡単ではなさそうだ。
(搾取=合法的な略奪)
むしろ、この世は、支配したい人間と支配されたい人間との共存(共犯関係)によって成り立っていると言っても過言ではない。
もっと言えば、支配したいがゆえに支配する人間と、支配したいが出来ない人間と、支配したいがために支配を受け入れる人間と、支配されたくなくとも支配を受け入れざるを得ない人間と、支配されたいがゆえに支配を許容する人間と、色々なのである。
また、支配したくない人間も居れば、支配されたくない人間も居る。
そして、支配したいが力の無い人間、支配されたくないが力の無い人間も。
そう考えると、根本的に問題なのは、一方に力が無い事、すなわち、力に差があると言う点にあるのかも知れない。
ゆえに、支配とは力によって行われ、支配によって、更に力の差が生ぢると言う、悪循環がいつまでも続くのである。
「誰が好き好んで支配されたいものか」・・・などと言ってみた所で、力が無ければ、そんな主張など、誰も聞き入れてさえくれない訳で・・・。
ところが、「支配されたくない」ために力を得たはずなのに、力を得た途端に「支配する側にまわる」輩もおり・・・。
それは、要するに、買収されたと考えて良い。
権力の犬。
権威主義者。
それこそが、支配したくもされたくもない人間の敵である。
しかし、得てして、そう言う人間ほど力を得るもの。
何故なら、この世は、そう言う風に出来て・・・否、作られているのだから。
「彼も被害者の一人なのだから」・・・と、いつまで甘っちょろい戯事を言っているのだ。俺は・・・。