もし六億円当たったら?
そうねえ、十代後半の健康な肉体に、脳味噌移植でもしてもらおうかしら?
・・・と、本音は置いといて・・・。
都心からそう離れてない、都内もしくは関東近郊にある山をひとつ買って、居住可能な音楽スタジオを30軒建てて、素質なり見所のある(←技術的に上達する可能性があると言う意味ではなく、存在意義があると言う意味での・・・)ミュージシャンなりバンドを住まわせ、毎日好きな時に好きなだけ練習させて、月に1回ずつ(要するに、毎日、日替わりで・・・)、山のふもとに作ったライヴハウスで、ワンマン・ライヴをやってもらおうかしらね~。
しかも、決められた日にライヴさえやってくれれば、実際には練習するもしないも自由。毎日、ゲームをするなり、本を読むなり、勝手に過ごしてもらって結構。ただし、ライヴを観て、私が面白くないと感ぢたら、他のバンドと入れ替えるだけの話。
そして、もちろん、一般公開もするつもりなので、会社勤めの人や、関東近郊からも安心して観に来れる様に、送迎バスを出す。1日に1バンドだから、ライヴ自体は長くても2時間くらいだしね。だいたい、会社が終って慌ててライヴ会場に駆けつけて、終電を気にしながらライヴ観るなんて、そんな芸能人みたいなスケジュールぢゃあ、誰もライヴ・ハウスに来なくなるっちゅうの。
そもそも、単なる“人気者”でしかない、生まれ持った才能にあぐらをかくアーティストや、難しい言葉はいっぱい知ってるけど書きたい事が何もない作家の様なミュージシャンが、他人の目や流行に左右されて群れ集う観客を何千人、何万人集めようが、お祭り騒ぎに興味のない私にとっては、そんなのどうでも良い事なのだ。
人が大勢集まりゃ面白いのかよ?偉いのかよ?正しいのかよ?嬉しいのかよ?
それに、人気・・・すなわち、誰よりも多くの人から好かれる事に、そんなに価値があるってんなら、何で法律上は、男女お互い一人の相手としか結婚出来ないのかって話(←他の国の事は知らないが・・・)。人気者がそんなに偉いのであれば、愛人を何人囲おうが、あるいは恋人を二股も五股もかけてもオッケーって事に、なんでならないの?
・・・と、話が大幅に屁理屈りマシタが・・・。
注:屁理屈る(へりくつる)→「屁理屈化する」の意。
・・・とは言え、私は何も、世界に通用する日本人ミュージシャンを作ろうなんてつもりもさらさらなくて、ただ単に、自分にとって楽しめるものをもっと増やしたいと言うだけの話。せっかく当たった六億円を、親族や友人ならともかく、何ゆえ、他人のために、ましてや交友関係のない外国の人のためなんぞに使わにゃならん訳?
あくまでも、まず最初に、自分の楽しみを追い求める事が、知らず知らずのうちに他人にも喜びを与えてるってのが理想だね。
野生の獣は、野生のままの自然な姿を見るのが、娯楽としては最上級な訳で、檻に閉ぢ込められたパンダ見て、何か面白いのかって事。自分の部屋で飼えるのなら、その良し悪しは別として、まだましだけど・・・。
何て言うのか、要するに、下らない幻想なんか無視して、自由に勝手にやって欲しい訳。こっちも、自由に勝手に観たいだけなんだからさ。
親から、そして学校で教わった事、新聞雑誌にテレビや世間で言われてる事、そんなの全部ウソ・・・とまでは言わないけれど、一方的な価値観に基づいた(縛られた)意図的な情報が多分に含まれているからね。そんな、比較によって得られる優越意識を利用した競争原理にまんまと乗せられ、地球と言う奴隷農場の家畜となって、一度しかない自分の大事な人生を無駄にしちゃいけないよ。
家畜として得られる喜びより、人間である事の喜びを求めて生きよう。
・・・なんちゃって。ホントは、そんなの、どっちでも良い。
やりたきゃやりゃ良いし、やりたくなきゃやらなきゃ良い。
人それぞれ、自由にすれば良い。
人生色々。家畜も色々。
ただし、隅々まで支配の行き届いた、至れり尽くせりの、この管理社会(奴隷農場)は、「自分で選んだつもり」、もしくは「自分で決めたつもり」にさせられてしまう程、極めて巧妙に、自覚無き家畜を生み出し続けているのだと言う事も、お忘れなく願いたい・・・。